飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

不可解な他者へ向けて/悪い芝居『らぶドロッドロ人間』

上演データ

2010年5月19日〜24日
@アートコンプレックス1928

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演出 山崎彬

出演
四宮章吾 きたまり(KIKIKIKIKIKI) 吉川莉早 仲里玲央
大川原瑞穂 西岡未央 植田順平 梅田眞千子 進野大輔 山崎彬

ART COMPLEX 1928 Power Push Company

芝居を観よう。芝居を観よう。どうせ観るなら悪い芝居を観よう。

愛によって生まれ、愛を注がれて生きる。
愛を注がれて生きて、愛を注ぎ返して生きる。
注ぎ返さず放っておけば、やがて容量オーバーになり、愛はドロッドロあふれだす!
あふれた愛は地面に落ちて、染み込んで染み込んで、地球の裏側へと行ってしまう!
愛はまわる!!世界に愛は一定量しかない!!
あるなら捨てる!!!ないなら奪う!!!

ある日、森の中、ハイガールちゃんに、出会った。
この世界にはハイ人とロウ人がいて、ジョウ人の僕は何だか、損だ。
ハイ&ロウでイカス非現実な逃避行。追いかけてくるのは、日常。
壮絶な世界あれど、その中にいれど、生活を大事にするしかない人間たちのらぶのお話。

らっぶドロドロ、らぶドロッドロ、悪い芝居vol.10めもりある本公演。
らぶドロッドロです。ご期待ください。

騙されるヤツがバカなんです、と思われたら、悲しい。

出典:悪い芝居vol.10『らぶドロッドロ人間』特設サイト 

不可解な他者へ向けて

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悪い芝居vol.10『らぶドロッドロ人間』はさまざまなことを予感させる暴力的な雨によってはじまった。舞台は一階部分と二階部分に分かれており、二階部分にはリアルなワンルーム、一階部分は森という設定の場所として描かれる。ワンルームではどうやら三人の女性が一緒に(?)住んでいるらしく、その内の一人「愛」は元々その部屋に住んでいた「心」の彼氏と浮気している現場を目撃され、心は風呂の浴槽に頭をぶつけまくってこん睡状態、入院しているらしいことがわかってくる。同時に森の方ではオタクっぽい変人(口田口男)が「心ちゃん」という女を追って奔走する。これら関係があるんだかないんだかわからないドラマが並行して展開されていくのである。

これまでの悪い芝居でも心を追う「口田口男」のように、他者を求めるあまり他者にたどりつけない人間が執拗に描写されてきた。「心」を求めれば求めるほど、その溝は埋めがたく広がっていく。そして、この構造は舞台と観客の間でも同じように反復されるのである。

最も象徴的なのは同会場の初めての公演vol.7『東京はアイドル』で俳優が観客に殴りかかろうとするシーン*1。そこにある見えない壁を壊そうとするかのようなあの暴力は、「他者」へとつながろうとするあがきでなくてなんであろう。わかりあえない苛立ちは、暴力へと突き進むしかないのだ。しかし、殴ったところで結果は同じだったろう。なぜなら、観客の「他者性」は身体的接触によって解消される類のものではないからだ。その溝をパッションによって乗り越えようとすればするほど、観客は「よくわからないもの=不可解な他者」へと変質していくのである。他者を愛したい欲望の終着点である。だが、驚くべきことにvol.8・9の試行錯誤を経て、悪い芝居の舞台の質は大きな変容を遂げたのだ。

心がこん睡から回復し、大団円を迎えるラストシーンを見てみよう。ケーキを囲み心が退院したお祝いとして記念撮影がされる中、心は一人異様としか言いようのない暴力的身ぶりを繰り返す*2。ここで「心」のどんな意味にも回収されまいとする異質な身ぶりは、どんな想像をも投げかけることを可能にする不可解さとして立ち上がる。観客はその余白へ向けて、自らの想像力を投げ込むことになるのだ。つまり、ここで悪い芝居は観客に殴りかかるのではなく、観客が(想像力で)殴りかかれる余白を入れ込むことで、舞台の側を「不可解な他者」として提示したのである。

だから、ここでは舞台の側の想いをいかに伝えるか、ではなく、観客が舞台に何を欲望するのか・何を観たいのかが問われることになる。われわれは「心」の「背負えよ、一生」という言葉を背負い切れなかった口田の走り去る姿に何を観るのか。本当の彼について、われわれはなにもわからない。しかしだからこそ彼から目が離せないのだ。よくわからないあの子へ向かって、今日も走り続けている。私はそんな口田を想像するのである。

*1:この動画の2:05〜。とても〈好き〉なシーンだ、やはり。

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*2:『らぶドロッドロ人間』youtubu映像の4:10〜