読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

ブックオフと孤独と/日記20170416

気分の沈んだ時は決まってブックオフに行く。適当にぶらつくと何冊かの本が目にとまる。二冊並ぶ「ホレーシォの孤独」を棚から出して、パラパラとめくる。俳句の論評のようで、死んだ歌人の孤独をおいかけている。
 
ゴーマニズム宣言従軍慰安婦の、強制連行の有無を巡って小林よしのりが勢いづいていた時期があった。なんども読み、大東亜戦争と屈託なく口にした時期。パラパラ、パラパラとページを繰ると、森友学園の資料隠ぺいと強引な幕引きを意識する。ブックオフの立ち読みで、自分の浅はかさに気付かされて、ちょっとおかしい。
 
何時間でもいた。まだほんの小さい頃はマンガコーナーが寝ぐらだった。少年、青年、少女、レディース、あらゆる、マンガを漁った。自転車で30分の距離にあった一軒のブックオフが文化の全てだった。
 
18歳ごろから文庫本コーナーに行くようになった。ちくま学芸文庫岩波文庫をまずは見る。そこからざっと学術書がありそうなところを。それは今でも変わらない。変わらず叩き売られている古今の知の背表紙に目を走らせる。軽く挨拶する。変わらない時間にホッとする。
 
古本屋の店主になりたかった。本を読まない古本屋の店主。でも、背表紙は好きだ。背表紙のタイトルを読むのが好きな古本屋の店主。
 
後悔ばかりしているが、時間は絶え間なく人生を急き立てる。手相を見てもらうと、決まって意志薄弱。一本の真っ直ぐ伸びた生命線に憧れていた。ふらふらくねくね。肝心なところで失敗して転ぶ。まぁ、そんなものかなと部屋で一人ごろごろと、転がっている。
 
 
そういえば。ブックオフの前でアイシティコンタクトのティッシュを配るトマソン的おじさんにまた会う。
 
今日も変わらず、鋭く多彩な手さばき。ティッシュをしゅっしゅっ、しゅっしゅっ。数ヶ月前に見かけた時は、アイシティコンタクト、どうぞどうぞコンタクト〜どうぞっどうぞっどうぞっあらよコンタクト。
 
歌っていた。
衝撃だった。
 
これでいい。与えられた「役」に屈することなく逆に遊んでみせること。生きるのに大事なことを勝手に教わる。
 
西口前の地下通路へ続く階段前を通るときには、いつもよっしーと、あの浮浪者を思い出す。いったいどうしているだろうか。彼はあれ以来見かけることがない。見かけたとしても、ぼくも彼も交わることなく別の世界に淡々と棲まう。ただ、トマソンは、よっしーの演技を介して記憶されている。
 
孤独なひとり遊びの点が結ばれ、誰も知らない世界の記憶庫にしまい込まれると想像すれば楽しい。こう見えているのとは別の世界が、役に立たないあふれる孤独が、光っている。