飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

返答:評論文盗用疑惑について

追記(2018.4.6)

はどの氏には直接謝罪をし、参考文献として氏のブログを追記することでご了承いただきました。氏のブログにも本ブログ記事を追記でご紹介頂いております。

 

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批評再生塾第14回論文として投稿した「《私映画》の運命―黒沢清『CURE』の問いかけ」に、「盗用疑惑」のご指摘がありました。「映画批評ブログ「映画を書くと頭が疲れる」管理人の「はどの」氏より、ブログからの盗用が疑われるという指摘を受けました」というかたちで、当該論文に、経緯が記載されております。

 

批評再生塾第14回論文「《私映画》の運命―黒沢清『CURE』の問いかけ」
http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/shibukawa0213/2614/

はどの氏の指摘は以下にまとめられております。

http://stevenspielberg.hatenablog.com/entry/2018/03/26/182004

はどの氏のブログに、いくつかの疑問点が挙げられております。
その点について、ご返答いたします。

 

なぜ友人から着想を授かり、その着想元だと思われるブログを確認したにもかかわらず、講師に引用の必要性などを相談しなかったのか。

この点については、意識が低いと言われて仕方がないのですが、大きな問題じゃないと思っていてた、というのが事実です。

もともと、小説でも音楽でも演劇でも「独我論」を背景にして、それを徹底させたかたちで従来的な見方を裏切る、ということを僕は批評再生塾の論考で繰り返し論じていました。僕自身が「私=世界」しかないという感覚で生きているということがあり、『CURE』はそうした感覚に非常によくマッチするものだと感じられました。『CURE』を観た時点で「高部―映画―世界―観客(私)」が「感染」をキーに同一化するというアイデア……までいかないくらいの感覚、「感染=私しかない」という直観を持っていました。

そして、初発の直観が自分自身のものであれば「オリジナルだ」くらいの、いまから思えば傲慢としか言えない気持を抱いていたと思います。友人から聞いた話も、そうした「高部=世界=観客(私)」という直観の補強材料くらいの意識です。それで、はどの氏のブログを確認して「これは聞いた話が混じっている可能性が高い」と理解しても、初発の着想である(と僕が理解した)「高部=世界=観客」は、僕が『CURE』から感じ取ったことが先だ、とその時は考えていました。

友人に示唆された「映画史の反復→映画=高部」から、すべて逆算的に『CURE』を解釈していったので、「着想の重複」が生じたというのはまったくそのとおりです。ただ、僕の意識の中で『CURE』を観た時に僕もそれを直観した、と言いたいエゴがありました(もちろん「映画史の反復」等の話を聞いて、それを確信したという経緯があります)。

だから、ブログを見たときにも―強く言えば―「元ネタ」のような意識はありませんでした。僕も同じように考えてる、くらいに思っていました。それで、これは面白いなと思って、読者登録をした・・・というような話です。特に、なにも問題はないと理解していたのです。

しかし、はどの氏が仰るように、ブログをチェックした段階で参照元にあげるべきでした。

僕自身に「盗用」のような意識はありませんでした。しかし、意識の問題ではないので、はどの氏の言う通り、「盗用」と疑われて仕方がありません。実際上、参照元であるのに変わりはないのですから。

僕のエゴで、はどの氏には大変不愉快な思いをさせてしまいました。
猛省しています。

ゲンロン側には、参照元として、当該の論考に「はどの氏のブログ」を表記させて頂くように依頼しようと考えております(すでに依頼済みです)。はじめから、そのような対応をとらなかったことを謝罪いたします。

時系列を捏造した理由。なぜ隠す必要のないことを、あえて隠したのか。

8日にブログのURLを友人から送られたことは証明可能な事実だったので、それを持ち出せば疑われる余地がない、と考えていました。はどの氏に指摘されるまで「問題がある」と思っておらず、指摘されて初めて「問題なんだ」と恐ろしくなり、絶対に否定しようという、そういう態度でゲンロン側に返信をしました。なぜ隠したかと言われると、「絶対に否定する」と過剰に反応をして、(今から思えば)深夜のファミレスでちょっとどうかしている状態になっていました。 

沈黙していたことについて

ブログを確認した段階で「参照元」にあげなかったこと、時系列を捏造したということ、これはまったく僕が悪いし、本当に悪いと思っています。時系列の捏造は公文書の改ざんと変わらないと、あとで思いました。人間のクズとはこういうことを言うのだなと思い詰めていました。

批評再生塾の最終課題締切の直前でしたので、最後に書き残しておきたいことを書いて、それまでは黙ろう、それからあとは自分がどうなっても仕方がない、という意識でした。実際にそうだと思います。

しかし、少なくとも、はどの氏の疑問に答える必要があります。
それで、このような返答をさせていただきました。

不十分な点もあるかもしれませんが、以上が正直なところです。
再三となりますが、はどの氏には不快な思いをさせてしまったこと、深くお詫びいたします。

また、ゲンロンにも、批評再生塾にも、多大なご迷惑をおかけしたこと、深く反省しております。

以上となります。