飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

昔はよく雑記風に自分の内面を整理していたことを思い出した

「昔は情緒がとても不安定だった。感情のうねりに僕自身ついていくことができなかった。その感情はたまっていくばかりで、捨てる場所を見つけられずにいた」と昔の日記にあった。

確かにそうかもしれない。というよりそうなのだろう。とにかく沸き起こる感情のうねりが自分自身を支配してしまい、にっちもさっちもいかずに泣き出してしまい、まわりのものを手当たり次第に破壊してしまう。比喩ではなく、字義通り、机を放り投げ椅子を放り投げ、教師の車をイシツブテでボコボコにして、定規を男子生徒のこめかみに命中させ、コンパスの針で女子生徒の手を串刺しにして、自分の倍はあるかのような同級生に体当りした。

昔の昔であるから小学生や中学生の時期に当たる。彼はその時期を混濁した無意識の海を泳いで過ごした。冷静になり感情をコントロールすることが課題ですと小学校の卒業文集に書かれている。怒らないように怒らないように。怒りで我を忘れてしまわないように。そう願っていた。

いまとなってその願いはある程度叶ったのだと言ってよい。なにしろ、低所得フリーターの身でありながらも、ものに当たり散らすこともなく眼の前のパソコンを壊してしまうこともなくおとなしく日々を消化して生きているのだから。

どうしてその願いは叶ったのだろうか? 振り返ってみると、彼の体が小さく弱かったというフィジカルな理由が思い当たる。もし仮に傍若無人に振る舞ったとしても誰ひとり止めることの出来ない巨躯を持っていたとしたら、大変まずいことになっただろうというのは火を見るよりも明らかだ。多動気味ですぐにキレる彼の暴走を止めたのは、自然が与えた小さい身体だった。結局のところ、彼のまったくあずかりしらぬところで自然の定めた二つの生物学的な偶然がその身体を闘技場にして相争っていたのである。じゃあ、あのときの悩みはいったい何だったんだよと思うと少しばかり可笑しい。

そうしたエモーションとフィジカルの衝突のあとには二つの副産物が残された。ひとつは井戸の底に沈んだ小さな〈子ども〉であり、もう一つは生きることの無気力であった。祭りのあとに訪れる鬱の期間であったのか知らないが、その後にいろいろとあってうねりをあげる感情の暴走が鎮火するに至って以来、何もかも無意味に感じられる無気力が襲った。やる気が出るというのはとても不思議なことだ。気力は湧いてくるものであって意図的に企てるものではない。だとすれば、気力が湧いてくるかどうかは運次第ということになる。もちろん実際には気力が湧き出てきやすい環境を整えるという間接的なアプローチはありうるが、しかしそれが仮初めの応急処置ではないとどうして言えるだろうか。この失調感覚がハイデガーの著書で世界を開示する根本気分であると著されていたことに蒙を啓かれ哲学を専攻した―わけではもちろんないが、人間が陥りやすいひとつのパターンに彼も嵌ってしまったのであった。

井戸の底で声を挙げる〈子ども〉の形象は、もう少しわかりにくいものだった。なにしろいまでもよくわからないのだから。それを言葉にするのはなかなかに骨が折れることで、ひとまずのところ祭りのあとに振り返られた時間のなかに顕れてくるなにがしかを「井戸の底に沈んだ〈子ども〉」とイメージしてみるのだが、やっぱり何を言っているのか自分でもよくわからない。わたしたちは井戸の底に沈んだ〈子ども〉の声を振り切ることで日常の時間を維持しえていると思えてくるのである。

昔はよくこうやって雑記風のブログを書いて、自分の内面を整理するということをやっていた。だからなんだということはないが、最近はそうした内面の吐露もめっきり減った。