通常よりも低い位置に設えられた照明の機体群。それを「灯体」というが、野球場のナイター照明器具のような格好で剥き出しにされた灯体もあれば、天井から吊り下げられた灯体もある。そうして圧迫された空間が、まずは眼に飛び込んでくる。開場時にはすでに数人の俳優が所在なさげに舞台をうろつく。その足元は7000枚(アフター
トークのあとの玉城の立ち話を小耳に挟んだだけなので、間違っているかもしれないが)の手紙が入った封筒で埋め尽くされている。アトリエ春風舎の「床」が見えない、それだからか、床を踏みしめることなくうろつく彼らの姿はどこか虚ろ。
上演がはじまると、俳優は無数の封筒の一つ一つを開封して、中の手紙を-実際には白紙であり俳優はセリフを覚えて発話しているのだが-読んでいく。それで舞台上の役者は「読み手」と「演者」に分かれ、演者は手紙に書かれ指定された人物をなすりつけられるように「役」をプレイし始める。
通常の「演劇」からすると奇妙に思えるこうした形式はなかなかイメージしにくいかもしれないので、図式化してみると次のようになる。
役者A[手紙を読む]→役者B[手紙に書かれた人物になる]
では、手紙の内容はどんなものか。少し長くなるが手紙の「読み手」が発話する冒頭のセリフを戯曲から引用しよう。
右手に大きなタコを模した滑り台がある。子どもが二人、そこで遊んでいる。左手には池。池と言っても水は少なく沼に近い。大人の胸の位置程の高さの柵で覆われていて入る事はできない。「ここに大きなシジミが住んでいる」、以前、この緑地に住む誰かからそんな話を聞いた。・・・ ふと、足元に文庫本が一冊落ちているのを見つける。カバーが外されいかにも文庫本然としたその本に手を伸ばす。本は朝霜に濡れていた。・・・ この緑地は広い。私はいまだ役目を終えていないこの手紙達を、ここに住む宛先不定者たちに配らなければいけない。*2
こんな風に、セリフというよりは小説のような文体で「私から見えた風景」と「私が感じたり思ったりした内面」が描写される。
*3だから、手紙には「誰かの視覚から開かれた世界」が書き込まれていると言えて、その「誰か」をトレースさせるようにして手紙が読まれ、相手方は実際にその人物になったかのように行為しだすのである。
同時に観客は、どこか朗読を聞いているような感覚で持って、言葉が指し示す風景と、登場人物の内面をイメージするように仕向けられ、広大な緑地を彷徨う人々が残したのかもしれない手紙の数々を聞きながら、まるで小説を脳内で立体化し劇場空間に重ねて見るように緑地で起こっている出来事や緑地に住む人々の生態系をつぶさに観察して《見る》ことになる。
物語は「宛先不定者たちに手紙を配る」一人の女を中心に「緑地を這いずる男」や「失踪した夫に手紙を届けようとする女」そして「沼地に住むシジミ」といった複数のエピソードが配されるのだが、この「手紙」は上演形式のレベルにおいても、物語のレベルにおいても重要な役割を果たしている。筆者が『戎緑地』を厄介だなと感じるのは、「手紙」が様々なレベルで多層的な暗喩の系をはらんでおり、多様な読解を呼び込んでいくからだ。それをどう受け止めていいのだろうと思案しつつも、まず一般的に「手紙」が、次のような形式を持っていることを確認してみたい。
① 送り手→手紙→受け手
手紙は宛名と宛先がなければ届かないので、
② 送り手→手紙→宛先=宛名
となる。そして『戎緑地』では、こういう手紙の形式が「上演形式」に転用される。それは一体どんなメカニズムで転用されるのか。まず当たり前だが、手紙は宛先へ向けて届けられる。もちろん実際の上演の中で手紙が配達されるわけではないけれど、手紙がAという役者からBという役者ヘ向けて読まれるというのは、Bという役者の身体へ向けて「手紙を届ける」ことの比喩になっていると見ることは出来るだろう。
また、手紙には〈私〉が何をしたかとか、何を思ったかとか、何を見たかとか、そういう〈私〉を記述する言葉が書き込まれている。この〈私〉だって「
ハムレット」とか「オフィーリア」とか何らかの名前は持っているだろうから、結局のところ、手紙の言葉を届けられる役者Bは、「
ハムレット」とか「オフィーリア」という「役名」を届けられている、ということになる。まとめると・・・
③ 送り手(役者)→手紙(私を記述する言葉)→ 宛先(身体)=宛名(役名)
のようになる。さらに「私を記述する言葉」を圧縮してみたい。つまるところ手紙の「私を記述する言葉」とは「彼がどんな人か」を説明する言葉、いうなればゲームの説明書にのってる「キャラクター紹介」がセリフになってるようなものだ。また「役名」とはキャラクターにとっての〈私〉の意味なので、
③’ 送り手(役者)→手紙(キャラクター)→ 宛先(身体)=宛名(私)
としてみよう。どうだろうか、わかりにくいだろうか。
しかし、『戎緑地』では、「キャラクターを○○さんの身体へ届ける=〈私〉にする」という役が生まれるメカニズムそのものが、「手紙を届ける」という行為に仮託されて上演形式になっているのであって、実際にやっていることは結構ややこしいのだ。
だから、「手紙を届ける」行為を「劇中劇」の構造を持ったメタシアターの暗喩であるとみなせば、
④ 送り手(劇作家)→手紙(戯曲)→[宛先+宛名]=役
と
パラフレーズしてみせることも出来るだろう。
*4稽古のはじめに台本が手渡されて、「あなたはAさんの役ね」「あなたはBさんの役ね」と役が割り振られるようなものだ。それが舞台上で観客の眼前でもって展開されている、とも言える。
ところで、
ジャン・ジュネの戯曲『女中たち』では「演劇内で演劇構造を反復してみせる」メタシアター的な「ごっこあそび」の上演形式が用いられたけれど、『戎緑地』が「手紙を届ける」で同じようなメタシアターを展開しているとしたら、筆者にとってはあまり面白いとは思えない。なぜなら、太田省吾が指摘したように『女中たち』のようなメタシアターは、結局のところ「演劇」の構造をなぞってみているだけで、むしろ「言葉で説明できる意味」に(当時の言葉で言えば「文学」に)演劇を回収してしまい、意味に回収されない〈出来事性〉が捨象されてしまう。
しかし、どうも『戎緑地』は物語のメタシアターではなく、上演形式のメタシアターと言える次元から、演劇の本質的性格そのものを利用して、とある〈現実〉の位相に光を当てようとしているように思えるのだ。筆者は、この〈現実〉の位相に興味がある。
注目すべきポイントは、フライヤーに掲載された「緑地に吸い寄せられた人々は/目的地を持たず、ひたすらに彷徨う」点にあるように思う。確かに舞台の役者たちはどこか虚ろであり、狭い舞台上をひたすらに彷徨っているようにみえる。この「彷徨う」が持つセンシティブな問題を扱うためにこそ、「手紙」の形式が用いられたのではないか? そう考えてみることで、もしかしたら上演が触れようとしている〈現実〉の位相がその正体を表すかもしれない。
「手紙を届ける」行為を「彷徨うこと」を触知させる仕掛けとして読解してみせること。そういう方向を睨んで「京都演劇」に内在していたある潮流に『戎緑地』をコネクトすることを試みたい。
「手紙を届ける」行為が持つ意味に光を当てるために「マレビトの会」を主宰する劇作家・演出家である
松田正隆の言葉を引用しよう。彼は2012年までの自身の活動を次のように総括している。
俳優がその登場人物を演じる「ドラマ演劇」に対して、いわゆる「ポストドラマ演劇」というか、俳優という「身体」と「語り」とがどんどん離れて、ずれきってしまったのが、2012年のフェスティバル/トーキョーで上演した『
アンティゴネーへの旅の記録とその上演』でした。俳優たちがただ、立ったまま、かつて演じた劇を想起していて、観客はその姿を眺めるだけ、という。
松田はドラマ演劇とポストドラマ演劇の対比を(演技態のあり方に引き寄せたうえで)「語りと身体の一致」と「語りと身体の分断」にみている。そしてマレビトの会では後者の「分断」を実践してきたのだと。では「分断」の手法はどういう演劇的効果を生むのか。
演劇は「語り」によって役者が「役」になる、つまりはAさんがBさんに「なる」ことを基本構造としている。マレビトの会はこの構造を敷衍して、「語り」と「身体」を分離することで「語り」によってある「身体」が別の何者かになるプロセスを観客と共有するような場を作る。松田が言うところのドラマ演劇では、役者はすでに「何者か」である「役」を背負って登場するため、AさんがBさんに「なる」プロセスそのものは劇が開始される前にすでに終わっているとも言えるのだが、松田は通常はすでに終わっているプロセス、すなわちAがBという「何者か」になる変容のプロセスを演劇化するのである。
このように「語り」と「身体」を分断する戦略から「何者かへの変容そのもの」を演劇化する演技態を松田はポストドラマ的なものとして名指す。といっても筆者はポストドラマ論を展開したいわけではないので、多義的な「ポストドラマ」という用語は用いず、松田の用いた意味に限定して「語り=言葉」と「身体」を一致させる地点からはじまるドラマ演劇の「統合された演技態」に対して、あえて分断させることでドラマがはじまる前の「何者性」を露出させる演技態を「分断された演技態」という風に言ってみたいと思う。
5、玉城企画の「多数化された演技態」
以上のような認識を念頭に置くと『戎緑地』の「手紙の言葉を届けることで彼を役の人物にする」手法もまた「分断された演技態」の次元を狙ったものであることは明白だと思う。これは現代口語演劇が要求する「分人格」(
平野啓一郎)によって基礎づけられた関係性の演劇とも違った、いわゆる00年代の
青年団系列ではあり得なかった(筆者が知らないだけ、ということはあるのでその場合は指摘してほしい)別ジャンルの系譜を継ぐものである。「分断された演技態」からもう一度「手紙」が意味するものを展開してみよう。すると、このようになる。
⑤送り手(役者)→手紙(キャラクター)/ 宛先(身体) ≠ 宛名(私)
キャラクターと身体と〈私〉のあいだにはいる「/」、手紙と宛先と宛名の分断。統合された演技態の次元では、そもそもが「手紙を届ける」のように「手紙=言葉」と「宛先=身体」が分断されていない。初めから手紙は手元にある・・・というよりかは、手紙のように外付けHDみたいな外部化のされ方はされないで、あくまでも内部メモリのように身体に埋め込まれている。その時に〈私〉とキャラクターの結びつきは分断されることが想像もされないくらい強固であり、例えば「私は教師です」とか「私はロールキャベツ男子です」とかいう風に屈託なく意識されることだろう。
しかし『戎緑地』の「手紙を届ける」上演形式では「キャラクター(にする言葉)」と宛先の「身体」は初めから分断されているわけで、それが〈私〉へと統合されるとは限らない。もう屈託なく「ロールキャベツ男子です」とは思えないのだ。あくまでもそれは割り振られた「キャラクター」であるしかないことが意識される次元が露出するのである。
なぜかと言えば、キャラクターを割り振られた側からすればキャラクターは「誰」だからわからない〈他者〉だからだ。ただ「彼はこのようである」というキャラクター(これを「情報」と言っても良いかもしれない)だけが送り届けられる。しかし〈誰〉だかはわからない。誰だかわからないものを役者は引き受けなければならない。なぜそうしなければならないかはわからないが、とにかく手紙が
たまたまこの身体に配達されたので役者は〈誰〉であるかわからない〈キャラクター〉にならなければいけないのだ。その時、⑤の形式は実際には次のように
パラフレーズされることになる。
⑥ 送り手(役者)→手紙(キャラクター)/ 宛先(身体) / 宛名( 誰? )
〈私〉は誰だ。ここで逆手にとられているのは言葉、台詞と言ってもいいのだが、それを口にした途端、彼は何の疑いもなく「キャラクター」になってしまう、そうした演劇の本質的な性格なのだ。「劇中劇」的なメタシアターとの相違点はここにある。「劇中劇」ではキャラクターと〈私〉が結びつく回路がそのまま保存されているのに対し、「手紙を届ける」の回路においては演技が必然的に要請するキャラクターと〈私〉の回路が分断される。まるで〈私〉を持たずに彷徨うゾンビを生み出すように。
「宛名」は常に「宛先」より多く、この言葉たちは「宛先」を求めて、私の元に届けられる。そして緑地に集まる人々は「宛名」を求め、徘徊し続ける。いつか誰かが自分を見つけてくれる。そう思いながら何処までも何処までも歩き続けるのだ。そしてこの緑地から出ていくことはない。*5
緑地に集まる人々が「宛名」を求めているとは、このように解されるべきだろう。つまり〈私〉を求めているのだと。しかし、送られてくる言葉は「他者=キャラクター」であり〈私〉に統合されはしないのだ。
だが、これでもまだ事態は正確に描写されてはいない。松田が語る「分断された演技態」の次元ではあくまでも一対一対応の「身体」と「キャラクター」が分断されていることが想定される。しかし「手紙を届ける」上演形式は、そうした一対一対応の前提それ自体を破棄する。舞台上に大量の封筒(手紙)がばらまかれていたことを思い出してみてほしい。それは大量の「キャラクター」の暗喩なのであり、大量虐殺が起こったあとのように横たわるキャラクターの一つがなぜだかわからないがたまたま偶然〈私〉へと届けられる、そうした意味が孕まれていることが示唆されている。だからこうなる。
⑦ →手紙(キャラクター)
→手紙(キャラクター)→ 宛先(身体) / 宛名( 誰? )
送り手(役者)→手紙(キャラクター)
→手紙(キャラクター)
→手紙(キャラクター)
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マレビトの会(少なくとも2012年まで)が上演形式のレベルでは、あくまでも一対一対応のキャラクターと身体が分断される次元、言ってみれば「実存」の位相を開示するのに対して、「手紙を届ける」形式は、確かにキャラクターは届けられるが、たまたま偶然この身体へ届けられたというだけで、そのキャラクターは「私じゃない」。こうした多対一対応の「偶有性」の位相を開示するのだ。このような「偶有性」によって特徴づけられる演技態を〈「身体」に対して「キャラクター」が多数化される〉という含意を込めて「多数化された演技態」と呼ぼう。*6
「多数化された演技態」において前面化されるのは「何者性への問いかけ」ではなく、偶有的な世界感覚であり、これほど大量のキャラクターがばらまかれていながらたまたまなぜか〈私〉が〈コレ〉であることへの違和なのである。手紙に書かれたキャラクターを「たまたま割り振られた」としか感じられず、〈私〉そのものにすることが出来ない人々。それがゆえに、いつか誰かが〈私〉の〈本当の名〉を見つけてくれることを切望し、手紙=キャラクターを求める人々。そうした者たちが徘徊する場、自分が何者であるかを支えるアイデンティティが常に浮遊し続ける根無し草たちの住むところが「戎緑地」なのだ(Twitterで「ニュータウン」を思い起こしたという感想が散見されたのは、それがゆえだろう)。
それでは、「手紙を届ける」上演形式によって光を当てられる〈現実〉の位相とはなんだったのか?
「手紙を届ける」上演形式は、キャラクターと〈私〉を分断し続ける仕掛けであり、〈統合された演技態〉の次元では隠蔽された「さまよい続ける根無し草」の現実を露出させる装置として働いていた。大量に敷き詰められた封筒(手紙)の上を所在なさげにうろつく役者たちは、とにかく「手紙」によってキャラクターになってはみるものの、どの手紙が〈私〉なのかがついにはわからず彷徨い続けることを運命づけられている者たちだった。
言葉が常に〈私〉に統合されない。こうした「分断された演技態」の問題は、もちろん
ベケット『私じゃない』を鏑矢に現代演劇が抱え込んだ問題系であるが(だから「マレビトの会」にも
ベケットの系譜が流れ込んでいると言わなければならないが)そうしたことには踏み込まず、当初に予告したように「手紙」の持つ意味を玉城の境遇と重ねてみることで「彷徨うことを強制する現実」とは一体何なのかを、明らかにしてみたい。
玉城は京都から東京へと移動した。筆者の経験上、京都から見える東京演劇は、演劇を司る〈法〉のように見える。批評家・
東浩紀の登場とともに人口に膾炙した「
大きな物語―小さな物語」の
フレーミングを借りれば、東京とは「演劇業界そのもの」であり、そこにコネクトされることは私の演劇活動という「小さな物語」と演劇業界の目指すべき方向性である「
大きな物語」をつなげてくれるように感じられる。今は(小劇場の)演劇業界そのものは「
青年団」と名指されるので、少し前の「小劇場すごろく」にかわって「無隣館―
青年団」のラインが、自らの演劇活動を意味づけてくれるかもしれない物語に見える(だろう)。
一応留保しておくのだけれど、京都での演劇活動は先が見えない。というよりは、その演劇活動を意味づけてくれる審級が存在しないため、この活動が果たして何らかの意義ある活動なのかがわからない。それだから「東京に行けばなんとかなるんじゃないか」という謎の神話も生まれるのである。これは馬鹿らしいことだろうか? 筆者はそう思わない。どのように生きるとしても、社会の総体を代表しているであろう「物語」によって私を「何者か」として意味づける「大きな物語」を求め振り回されてしまうのは、僕達の精神史に刻まれた深い傷だと思うから。*7
確かに、京都から見える東京(演劇)は一つの大きな塊に見えるのだ。だから、なにか自分の演劇人生に意味付けをしてくれるような「
大きな物語」が存在するような「気」がする。しかし、そうして京都から東京へ移動してみた時、東京という地はどんな土地に見えるのか? その問いに『戎緑地』は―先ほどの結論の反復になるが―簡潔にこう答える。
大量にばらまかれたキャラクターを演じ続けながら、いつか誰かが〈本当の名〉を見つけてくれると切望するような人々が彷徨う「根無しの場」である、と。
これは完全に妄想なのだが、玉城の眼からは東京がそのように見えたのではないか? 手紙は、だから「彼」を何らかの役割に割り振る言葉は大量にある。しかし、それはたまたま割り振られているに過ぎないのだから〈私〉じゃなくても良い。そういう偶有性の感覚に放り込まれた時、結局のところ〈私〉の演劇活動の必然性を意味づけるような「
大きな物語」など存在せず、あるのは偶然たまたま「こうなっている」としか言いようがない次元であり、無根拠なキャラクターを演じ続けながら内部に巨大な空洞を抱え続け浮遊する「根無しの生」にすぎない、と。
ここまで読んでくれた人がいたとしても、このオーバーラップのさせかたが
牽強付会にすぎるというご批判が飛んで来るのは目に見えている。だが『戎緑地』というタイトルの「戎」は「エビスさん」であり、
折口信夫によればマレビトの一種、海の向こう(常世の国)からやってくるおそるべき神でありながら、
記紀神話に出てくる「蛭子(ひるこ)」とも同一視せられる神である。
イザナギ・
イザナミの二神が国産みの儀の手順を間違ったために生まれた蛭子は手足のない不具の子であったため、海に流され捨てられた。その蛭子の帰ってきたのが「えびす」である。そういう民間伝承が残っている、という。
だから「戎緑地」とは「マレビトの住まう緑地」であって、いや、マレビトは来訪神であるから一定の土地に定着などしないので「マレビトの住まう」は語義矛盾なのだが、しかし「戎緑地」の響きは、帰る場所を失ったマレビトの境遇を思い起こさせる。マレビトは来訪したその土地では何者でもないものである。では何者でもないが帰る場所を失った時、一体そこでどのように生きていけば良いのだろうか? ドリフト(漂う)する。マレビトはドリフトし続ける。そうする他ないだろう。「東京」とは「多数化された演技態」をドリフトするマレビトたちの寄合の場なのである。
そうした〈マレビトから見える世界〉を劇場空間に定着させてみるような試みが『戎緑地』だったのではないか、と思えてならない。
「新劇の作家は、台本を、小説やエッセイや論文を書くように、不特定多数の読者に向けて書く。その台本を上演する俳優も、あくまで読者の中の一部分」であり、「書き手と読み手とは同一のコードを共有しており、こちらのことばとあちらのことばが同じ”日本語”でありながら全くちがったコードをもっていて、ひょっとすると同じ用語が全く別の心情や行為を示すことがあるかも知れないなどという危惧が、入り込んでくる余地はほとんどないのである」
言葉が観客に、それどころか俳優にも、自分自身にも通じているのかわからない、そうした言葉の意味への不信が、アングラ世代が特権的な身体性を重視した理由だった。しかし、『戎緑地』においては、言葉の意味は字義通りに俳優を動かし、字義通りに風景をイメージさせる。上演が言葉を裏切ることがないのだ。こうした言文一致が前提とされた透明な表象言語による演劇をこそ転覆させることが68年以後の小劇場演劇運動だったのではなかったか。このあとの論述を完膚なきまでに先回りしてしまうが、筆者が本稿で展開する読解は、ある程度理念化されたものであることを告白しておきたい。筆者の最大の不満は上演において「手紙が誤配される可能性が予め禁じられている」ところであり、そのための手立てがほとんど講じられていない点に尽きる。それは、太田省吾が「劇を意識化することはやさしくない」と言ったように、結局のところ「劇を意識している普通の劇」に終止してしまうように見えるのであり、「歩くこと、立つこと」それ自体がなにごとかであり得るような「直接性の場」を押し開くことがない。手紙はおよそ手紙にかかれていたとは思えない「何事か」へと身体を介して変異しなければ、「普通の劇」であることを免れ得ないのではないか。あれほど大量の手紙がばらまかれていたことの意味も単なる絵解きで終わってしまい、「あー、セリフ覚えてるよね、それは装飾だよね」と観客は見透かしてしまう。
とは言っても、太田省吾が身体を「コレであるもの」として露呈させる『水の駅』が、高度情報化社会における「複数の情報によって空洞化する身体」を批評することが敵わないのに対し、『戎緑地』はそうした「大量の情報に浮遊する身体」に触れようとしていると、筆者には思われる。だから、言葉の意味で全てが一義的に決定される(ように見える)上演のあり方は、玉城自身が実現したい位相を裏切っているように感じられるのである。
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