飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

トーキョー小劇場ではない、なにか。/演劇活性化団体uni『食べてしまいたいほど』

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www.uni-theatre.com

 

 『食べてしまいたいほど』は、練馬区を拠点にする演劇活性化団体uniが地域リサーチをもとにして演劇製作をおこなう「ちょいとそこまでプロジェクト」の「高松編」第一弾として上演された。高松は練馬区にあるまちで、最寄り駅は都営大江戸線の「練馬春日町駅」と、新宿から電車で20〜30分の距離にある。 

 「アートで町おこし」を目論むアートプロジェクトは00年代から流行を見せ、大規模なものでは「瀬戸内国際芸術祭」や「越後妻有アートトリエンナーレ」、そして東京でもコマンドNが「UP TOKYO」をキーワードに「TRANS ARTS TOKYO」を開催するなど、一定の成功をおさめている。10年代に入ってからは、それが実質的に地域コミュニティを再活性化するものではなく単にアートの地域搾取ではないかという批判の声も聞こえてくる。
 uniは法人ではなく任意団体であるわけだが、コミュニティデザインに演劇を活用する志向性は、「アートで町おこし」の演劇版とも言えるだろう。演劇の分野でもそうした動きは着実な広がりを見せていて、東京の劇場であれば、地域コミュニティの拠点になることを目的とした杉並区の公共劇場「座・高円寺」の先駆的な活動が挙げられる。それは、サブカル消費のマーケットに根を持った小劇場演劇とはまた別の領域で、独自の展開を見せている。
 しかしコミュニティアートと同様に、演劇と地域がインタラクティブに良好な関係を築き、さらには地域との関わりが「新しい演劇」のオルタナティブを生み出すことができるのか、に対しての答えはまだ出ていないように思われる。また、その「新しさ」を評価する視点が、演劇批評の側からある種の言説をともなって問題提起されることもほとんどないのが現状だ。そうした状況下で、uniの活動は小劇場演劇のメインストリームと外れてはいるが、しかし一方で素朴な実感から演劇の了解コードを再編成する「未成のパラダイム」へとリーチする可能性を宿している。

 『食べてしまいたいほど』に話を戻そう。これは高松のリサーチからつくられる「まちの演劇」だが、僕はこれを「まちの演劇」とはあまり思えなかった。その上演の雰囲気からすればむしろ「ムラの演劇」と言ったほうがいいかもしれない。つまり僕はこれが新しい「ムラ芝居」なのではないかと思えたのだ。

 会場となる「みやもとファーム」に着くと、プレパフォーマンスが行われる。駕籠を運ぶ俳優たちの後について高松の地域をぐるりとまわるのだ。二列に並んでぞろぞろ歩く一行に、道端の人たちは面食らった顔。新築モデルハウスの受付をする男性の戸惑いや、直売所のおばちゃんの「天気になってよかったね」といった声掛け、子どもたちの「行ったことあるところまでね」とついてくる姿に、高松の新旧入り交じる住民の「顔」ぶれが浮かび上がってくるような体験。このまちにとっての半分「異物」である「uni」の姿がパフォーマンスされていく。そして、僕にはこの「まちあるき」が彼らの試行錯誤する―古くて新しい―演劇のジャンルを示す上で、非常に重要なものであったように思えた。なぜか。

 この「まちあるき」によって、uniの上演する演劇が完結した「作品」ではなく、まちとの関係性が場に織り込まれていくプロセスそのものであることが示されるからだ。俳優たちは「ファンタジー」と言っていい、歴史的な実在性を持たないシミュラクルの衣装/意匠をまとって歩く。つまり、アニメのなかから抜け出してきたような疑似日本的な風情で、だ。だが、この衣装/意匠が、そこに住む人々とのあいだに微妙かつ独特の緊張感を作り出している。
 例えば〈ここ〉が劇場のなかであったならば、その衣装/意匠は現実との接点を覆い隠すことで劇場と現実を分断する装置として機能するだろう(現実を忘れる一夜の夢)。その意味でとても自然なものになる。また、秋葉原あたりに置かれれば「コスプレ」になるだろうし、新宿に置かれれば「大学生のイベント」として消化されるだろうし、高円寺だったらパチンコ屋のコマーシャルとして扱われるだろう(高円寺では実際にパチンコ屋のCMをするちんどん屋がいる)。
 しかし、それが虚構によって組織された「トーキョー」と微妙な距離感を保つ場に置かれると、「異物」ではないが、かといって「異物」でなくはない、ゆえに土地の人達に完全に排除されるわけではないが、奇異なまなざしは招き寄せ、個々のリアクションを引き出していく反射材として働き始めるのである(ちなみに高松も東京都内であるが、そういう行政区画とは別に、心理的区画の単位で高松は「東京」と距離を持つ)。
 つまり、俳優たちの特に何の説明もなくファンタジーな衣装を着て歩き、各所でなぜか法螺貝をふく―いわばトーキョー小劇場的な―根拠なきシミュラクルの身振りは、こと高松においては「リアル/シミュラクル」の分割線そのものを顕在化させながら、土地にある種のゆらぎを生じさせるパフォーマンスとして機能しており、それはそのままuniの実践がそうした実践であること、ファンタジーの回路からまちとの関係性を織り込んでいく「ねりあるき」であることを象徴的に示すのである。

 上演でも語られるのだが、2006年(だったと思う)に環状八号線が通った影響で、高松八幡宮が道路を挟んで向こう側に引き離されたらしい。これをひとつの象徴として読むとするなら、高松は村落共同体が解体され切ってはいないが、再開発による土地の解体も進む場所である。この「半-共同体」をここで「村」ではなく「ムラ」と呼んでみれば、uniは土地の物語に意味づけられた村落共同体と、故郷を喪失し虚構を生きる糧にするトーキョーとのあいだに立ちながら、その「リアル/シミュラクル」の緊張感を新たな「場」の創発へと方向づける「ムラ芝居」の実践者であることになる。
 それは、トーキョーから来訪する人びとと土地に住まう人びとに引かれた「トーキョー/ムラ」のあいだの、また「uni/高松」のあいだの分割線をリミナルに混乱させていくものである。このリミナルな混乱は、会場となる「多目的納屋」―もともと農園の納屋として使われていた建物を包みこむように新しく小屋が増築され小屋イン納屋となったスペース―の奇妙さや、劇中で(多分)特産物を紹介するためのコーナーとして挿入され観客と俳優がみんなでうどんを黙々と食べる謎の時間―劇を見に来たはずなのに!―でも繰り返し喚起される。なによりも、四面客席が地域の観客の顔ぶれを可視化することで、上演と観客のあいだの緊張感そのもの―uniと地域のあいだの緊張感そのもの―を上演に組み込んでいく運動性が、メタ演劇的にuniの試行錯誤のプロセスを明かしていく。

 もしかしたら、意図されたものではなく「自然にそうなった」のかもしれない。しかし、そこには地域と演劇の関わりがなければ生じなかった「関係性のプロセス」の磁場が確かに息づく。それが、本作を「トーキョー小劇場」の再生産であるような、だから結局のところ自劇団の動員ゲームのコマとして地域を利用するような「まちづくり演劇」とは一線を画すものにしている。
 とはいうものの、『食べてしまいたいほど』は「上演作品」単体としてみれば粗が目立つ、美学的洗練を欠いた作品にみえるかもしれない。少なくとも僕にはある点ではそのように思われるし、時空間の構成や身体の強度に対するアプローチはより良い選択肢もきっとあるに違いない。だが、『食べてしまいたいほど』は演劇作品をTUTAYAでレンタルされる108円のDVDと等価にするマーケットの論理が「作品」消費の終わりなき運動を組織していくのとは別のところに「演劇」を構想するものだ。それは共同体の「記憶」へとアプローチしながら、その「記憶」と「現在」が交渉する場を「演劇」として組織していく生産的な「活動態」であることも、また確かなのだ。僕には小劇場演劇の内部では見えなくなってしまうこうした「小さな演劇」の地道な活動に、何かしらポジティブな足場を築くあゆみが感じられて、ならない。

 もちろん、高級芸術(ハイアート)と民衆芸術(マージナルアート)の、演劇のための演劇と、生活のための演劇の対立は20世紀の演劇シーンで繰り返されてきたのであるから、この「一歩」が実際にどういう「ポジティブさ」の足場であるのかは、きちんと考えられなくてはならないし、そもそも僕の「市場」をまったく拒否するような目線は、単に「マイクロ・ユートピア」幻想への逃避に過ぎないとも言える。だがしかし……と言いうる言説の可能性の探索は、また別の機会に譲るとして、これから少なくとも3年間は継続されるという演劇活性化団体uniの「高松」での活動を注視してみたい、と思う。



 また折を見て触れていきたいが、西調布にアトリエを構える情熱のフラミンゴは「パーティー」として劇を組織している。これもまたuniとは別の角度から「関係性を組織していく」演劇の現実的な側面を「作品」の虚構内へと織り込んでいくメタ演劇的な実践を為す一例だ。
 「作品」の内部では完結しない、あらかじめ「活動」のコンセプトが意図的に織り込まれた作品群は、「作品」のレベルで観客との緊張関係を創り出すというよりは、上演が組織する「創発的な関係の作り方」において〈現実〉と対置される「集まり方」のフィクションを生み出している。いわばそこで「観客」は「作品を見る鑑賞者」と「上演に組織される参加者」に二重化され、それを同時に生きるのだ。
 この現象を鈴木忠志が言うような「劇団というフィクション」で説明することはできない。観客が出入り自由な「劇団」が関係性を更新しながらネットワークを広げつつ人が組織されるプラットフォームのありかたそれ自体が改変されていくような、「アーキテクチャの生態系」と言いたくなるようなそれだからだ。
 この潮流の意味を的確に射抜くには、もう少し時間がかかる。