飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

トマソン稽古日記1(20170119)

トマソンのマツリ』
構成 渋革まろん/出演 稲垣和俊・服部未来

//////////////////////
日程   | 1月20日(土)・21日(日)
      各日19:00~
会場   | 浮ク基地(調布市上石原1-27-33 2F)  
観劇費  | 1,500円(当日精算)
予約申込 | tomarumaru@gmail.com
      件名に「トマソンのマツリ」
      本文に「名前・日時・枚数」を明記
アクセス | 京王線西調布駅より徒歩1分
      (京王線新宿駅より西調布駅まで約25分)

//////////////////////

今日のけいこは、なかなかに発見があって楽しかった。


ただいま、1月20日・21日に開催する「トマソンのマツリ」のためのけいこをしています。構成はぼく、出演は稲垣和俊・服部未来の二人。スタッフはなし。ご飯会のごはんを田中ゆかりが振る舞う。


とてもミニマム。

 

f:id:marron_shibukawa:20171221170637j:image
稲垣君とは、「座・高円寺劇場創造アカデミー」で知り合い、それから宇宙の秘密が開示された太田省吾の「更地」上映会を蝶番に友達化しました。

 

f:id:marron_shibukawa:20171221170650j:image
また、未来ちゃんは、情熱のフラミンゴのメンバーで、ダンサーです。実は―もなにも―「トマソンのマツリ」名義で、せんがわ劇場演劇コンクールに参加したことがあるのですが、そこで「情熱のフラミンゴ」と出会い、未来ちゃんとも出会ったというわけです。


世の中、批判も時には大切ですが、お互いに対するリスペクトと適度の無関心が人と人が付き合うことの大前提にあるとしたら、情熱のフラミンゴの皆さんはそんなふわっとした無関心とリスペクトでポジティブな付き合いを許容してくれる懐の広さがありまして、昨年同様、会場も西調布にある彼らのアトリエ「浮ク基地」を使わせてもらいます。


それでこの「浮ク基地」、今年は新しくリニューアルオープンしたとのことで、そそくさと足を運んでみますと、なんと二面ガラス張りで窓ガラスからは墓場が見える、ゲゲゲ的ファンタジスタ空間に移転していて、センスオブワンダー。


センスオブワンダーな「浮ク基地」と、宇宙の秘密を分かち合った稲垣君と、ふわっと仲良くなってきたリスペクトな未来ちゃんと、栄養士学校に通って一年経つゆかりさん。


これくらいのミニマムな関係性で、演劇が始まるというのは、とても良いことだと思う。


何かときに演劇は大量の関係性と労力と才能と時間と青春と資本を動員しないとダメな感じがするし、あるいはそのためのステップを踏んでいくことが成功の条件だとされて、その結果できた作品の価値がそのまま演劇の価値であるように受け取られがち。実際それに最適化された形で演劇の供給システムもできている。でも、作品を絶対の価値とする秩序の内部では見えなくなる、演劇っぽいなにかが、散逸して偏在して、確かにあって、僕はそれはジャンルとしての演劇とは全然関係ないものだと思う。それはそれ、これはこれで、そこ混同しないこと。


混同しちゃって作品の病に囚われると、ロクなことがない。別にもっと好き勝手に、そのへんの路上や家や公民館の会議室Aで、こっそりやったらいいし、一人でもふと思いついたらやったらいいし、ちゃんとコンセプトと志しと遊び心があれば、そうした小さく断片的な演劇っぽいものたちは、きっと接続されたりされなかったりするのだと、まずは認識してみせたい。そんな不可視のネットワークがこの世にあるのだと理解したい。


例えば、発表される作品の価値が絶対だと信じてしまうと、稽古はそのための手段に過ぎないように見えてくるけど、実はそんなこと全然ない。稽古場に集まる、ということそれ自体が、やっぱりとってもスペシャルな時間だし、勤め先で交わされる円滑な関係性や目的のあるコミュニケーションとは全然異質の、なんだか3人いて、どうしよう今日なにしようとか言って、じゃあヒップホップダンス踊ろうとかって踊って、なんになるのかわからない「トマソンの模倣」を練習して見てみるんだど、やっぱり何でそんなもの見てるのかさっぱりわからなくなって、困るっていう時間はすでに演劇だ。と思いたいのです。


そんなこと思って一体なにになるんだ? とか言われても、少なくとも僕の関心は、もっぱらそこにあるのだし、なにやらジャンルとしての演劇に長いこと惑わされてた自分のマインドのOSを再インストールしたい気持ちにかられる12月の久々の稽古。


これくらいの関係が揃えば、別に「頑張んなくても演劇は普通にそこにあってはじまる。ホームパーティ開くくらいのカジュアルさ。若干違うのは異界の扉がちょっと開いてしまうくらいのことで、そんなのは脱サラするより気軽な冒険だし、病院から脱走してペンギンみたいに歩いてくおじさんと遭遇するくらいには普通のことだ。普通の演劇だ。この普通さをどうしたらとことん肯定できるだろう?


と、テンションアゲアゲになってしまった哀しみで、今日の稽古記録と発見を書こうとしてたら、全然関係ないこと書いちゃったので一回スマホを置きましょう。


でもやっぱ今日の稽古で未来ちゃんが発見したワンダーな発見を記録しておくことにするんだけど、トマソンにはドープとチープな二つの系統があるらしい。全く驚きだけれど、今までその存在自体が異様な雰囲気を発していたり、換喩的に都市のトロープになったりしてるトマソンを「存在系」と、本人無意識なんだけど自動化して反復的に生じてる微視的な仕草を「身振り系」と命名してたんだけど、これ確かに間違ってはないんだけど、未来ちゃんによれば、それは「dope」か「cheap」に由来する違いだったことが明らかになりました!
例えば、この分節を使って次みたいな言い方ができる。


稲垣くんは、30種くらいのトマソンを模倣できて、それらの生態系が彼の身体のうちに巣食ってるわけだけど、彼はどちらかというと、誰も見ていないような、見つけたとしても「ふーん」と思えるような微視的でチープな身振りに感応する人で、逆に僕は受け止めきれないオーラを放つがゆえに無視されるドープな人たちにフォーカスすることが多い、と。


豊かに充実した身体を持つ人はとってもリッチ。良い演技やダンスはそういうリッチな身体を志向していくものなのに、稲垣くんなんかは、チープな身体をチープなままにどうやって存在させていくかを課題にしているということなのです。


なるほどなー。良い発見。