飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

日々是善

昔はよく雑記風に自分の内面を整理していたことを思い出した

「昔は情緒がとても不安定だった。感情のうねりに僕自身ついていくことができなかった。その感情はたまっていくばかりで、捨てる場所を見つけられずにいた」と昔の日記にあった。確かにそうかもしれない。というよりそうなのだろう。とにかく沸き起こる感情…

ブックオフと孤独と/日記20170416

気分の沈んだ時は決まってブックオフに行く。適当にぶらつくと何冊かの本が目にとまる。二冊並ぶ「ホレーシォの孤独」を棚から出して、パラパラとめくる。俳句の論評のようで、死んだ歌人の孤独をおいかけている。 脱ゴーマニズム宣言。従軍慰安婦の、強制連…

演劇の問題の全て

誰の言葉であっても聞きたい。 あらゆる社会的な立場を超えて、聞きたい。 演劇は集まりを生むものであって、作品(出力された結果)を生むものではない。 演劇は「集まり」のあり方を構想することに全力を注ぐ。 それが「私の現れ」を強く強く、内包するも…

2016年を振り返る

2016年を振返ります。 1〜3月 働く。デッサンの勉強をする。 5月 tana+kari『孤独の光』/フライヤーなどデザイン・音響オペ 6月 『トマソンのマツリ(準備)』ーから研ダンスフェスに出品/演出 7月 『トマソンのマツリ(準備)』ーせんがわ劇場演劇コンク…

《公共性》は単に必要とされていないのでは? 250km圏内京都公演で思ったこと。

この冬、小嶋一郎・黒田真史による劇団「250km圏内」の京都公演『妻とともに』に同伴し、主にコンセプトブックの製作作業を担った。そのなかで、《公共》について、自分なりに腑に落ちることがあったので、書き留めておきたい。 ※ただし、小嶋一郎の唱える劇…

日々是善―調和と切断―

今日は、立本さんと伊原さんと真史さんと目的のない稽古の日だった。 もとは小嶋さんと立本さんと真史さんで月に一回開いていたのだけれど、小嶋さんがメンバー脱退し、新メンバーとして僕が加わった格好。 第一期がどんな感じでやっていたのかは知らないけ…

死体は生きているとしか言えないー250km圏内『妻とともに』稽古

さて、250km圏内である。その稽古場である。 かなり久しぶりの稽古場訪問。それにしても、250km圏内の稽古は大いに「謎」を含んだ魅力的な場だな、と思う。 今日は「テキストをほぐす」ウォーミングアップのあとで、通しのリハーサルが行われました。 あまり…

重力/Note「現代演劇のために考えている身体WS」に行った(3/21)

ワークショップについて 重力Noteが東京ではじめて開催する「現代演劇のために考えている身体WS」に参加してきた。 私たちが「共に生きる」ことをお題目ではなく、あたかも一つの社会実験のようにその場で具体的に構想していくようなワークショップで、現代…