飛び地(渋々演劇論)

渋革まろんの「トマソン」活動・批評活動の記録。

ドリフトするマレビトたち/玉城企画『戎緑地』観劇スケッチ

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2017年2月2日(木)~5日(日)
東京都 アトリエ春風舎

作・演出:玉城大祐
出演:岩井由紀子、中藤奨、永山由里恵、横田僚平 

   

1、京都⇔東京は夜行バスで3,500円

 のっけから自分の話をします。
 
僕はもともと京都に居て、その前は北海道に居てそれから京都に来たのだけれど、しかしとにかく7年ほど京都に居て、演劇活動なんてものをしながら日々を過ごしていたのだが、玉城企画演出の玉城大祐氏(以下、敬称略)も同郷の士である。彼もまた京都で演劇活動を、といってもライブハウスを根城にポストドラマ演劇に傾倒していたようだけど、とにかくそういうことをしていて、聞くと劇作家・演出家の市川タロ(東京では誰も知らないかもしれないが、才能ある劇作家/演出家で京都において特異な存在です)のクリエイションに参加していたよう。
 
2015年にこまばアゴラ劇場青年団によって運営される演劇学校「無隣館」に入所するため(だと思うけれど)上京。拠点を東京にうつし、現在は青年団演出部に所属・アゴラ劇場のプログラムオフィサーも担当する。こう見ると、大変順調な若手演劇人の「とあるコース」を踏んでいるようにも見える。
 

わざわざこうしたことに触れるのは、玉城のこうした来歴が『戎緑地』という作品に大きな影を落としているように思えるからだ。『戎緑地』の背景に、京都を離れ東京へと移住した「根無し草」的な視点から見える「東京の姿」が通奏低音のように流れているのを、筆者はどうしても感じてしまう。それは同郷の士だからという事情もあるだろうし、作品を矮小化してしまう危険もなくはないのだが、そんな風に読む人もいないだろうし、ここはあえて演劇形式の分析を通じて『戎緑地』から見える〈東京〉の意味を探索してみたい。*1

 
まずは、どのような上演がなされたのかを見てみよう。  
 
 

2、こんな作品だった

 通常よりも低い位置に設えられた照明の機体群。それを「灯体」というが、野球場のナイター照明器具のような格好で剥き出しにされた灯体もあれば、天井から吊り下げられた灯体もある。そうして圧迫された空間が、まずは眼に飛び込んでくる。開場時にはすでに数人の俳優が所在なさげに舞台をうろつく。その足元は7000枚(アフタートークのあとの玉城の立ち話を小耳に挟んだだけなので、間違っているかもしれないが)の手紙が入った封筒で埋め尽くされている。アトリエ春風舎の「床」が見えない、それだからか、床を踏みしめることなくうろつく彼らの姿はどこか虚ろ。
 
上演がはじまると、俳優は無数の封筒の一つ一つを開封して、中の手紙を-実際には白紙であり俳優はセリフを覚えて発話しているのだが-読んでいく。それで舞台上の役者は「読み手」と「演者」に分かれ、演者は手紙に書かれ指定された人物をなすりつけられるように「役」をプレイし始める。
 
通常の「演劇」からすると奇妙に思えるこうした形式はなかなかイメージしにくいかもしれないので、図式化してみると次のようになる。
 
役者A[手紙を読む]→役者B[手紙に書かれた人物になる]
 
では、手紙の内容はどんなものか。少し長くなるが手紙の「読み手」が発話する冒頭のセリフを戯曲から引用しよう。
 

右手に大きなタコを模した滑り台がある。子どもが二人、そこで遊んでいる。左手には池。池と言っても水は少なく沼に近い。大人の胸の位置程の高さの柵で覆われていて入る事はできない。「ここに大きなシジミが住んでいる」、以前、この緑地に住む誰かからそんな話を聞いた。・・・ ふと、足元に文庫本が一冊落ちているのを見つける。カバーが外されいかにも文庫本然としたその本に手を伸ばす。本は朝霜に濡れていた。・・・ この緑地は広い。私はいまだ役目を終えていないこの手紙達を、ここに住む宛先不定者たちに配らなければいけない。*2

 
こんな風に、セリフというよりは小説のような文体で「私から見えた風景」と「私が感じたり思ったりした内面」が描写される。*3だから、手紙には「誰かの視覚から開かれた世界」が書き込まれていると言えて、その「誰か」をトレースさせるようにして手紙が読まれ、相手方は実際にその人物になったかのように行為しだすのである。

同時に観客は、どこか朗読を聞いているような感覚で持って、言葉が指し示す風景と、登場人物の内面をイメージするように仕向けられ、広大な緑地を彷徨う人々が残したのかもしれない手紙の数々を聞きながら、まるで小説を脳内で立体化し劇場空間に重ねて見るように緑地で起こっている出来事や緑地に住む人々の生態系をつぶさに観察して《見る》ことになる。

 

3、手紙は何を意味するか?

物語は「宛先不定者たちに手紙を配る」一人の女を中心に「緑地を這いずる男」や「失踪した夫に手紙を届けようとする女」そして「沼地に住むシジミ」といった複数のエピソードが配されるのだが、この「手紙」は上演形式のレベルにおいても、物語のレベルにおいても重要な役割を果たしている。筆者が『戎緑地』を厄介だなと感じるのは、「手紙」が様々なレベルで多層的な暗喩の系をはらんでおり、多様な読解を呼び込んでいくからだ。それをどう受け止めていいのだろうと思案しつつも、まず一般的に「手紙」が、次のような形式を持っていることを確認してみたい。
 
① 送り手→手紙→受け手
 
手紙は宛名と宛先がなければ届かないので、
 
② 送り手→手紙→宛先=宛名
 
となる。そして『戎緑地』では、こういう手紙の形式が「上演形式」に転用される。それは一体どんなメカニズムで転用されるのか。まず当たり前だが、手紙は宛先へ向けて届けられる。もちろん実際の上演の中で手紙が配達されるわけではないけれど、手紙がAという役者からBという役者ヘ向けて読まれるというのは、Bという役者の身体へ向けて「手紙を届ける」ことの比喩になっていると見ることは出来るだろう。
 
また、手紙には〈私〉が何をしたかとか、何を思ったかとか、何を見たかとか、そういう〈私〉を記述する言葉が書き込まれている。この〈私〉だって「ハムレット」とか「オフィーリア」とか何らかの名前は持っているだろうから、結局のところ、手紙の言葉を届けられる役者Bは、「ハムレット」とか「オフィーリア」という「役名」を届けられている、ということになる。まとめると・・・ 
 
③ 送り手(役者)→手紙(私を記述する言葉)→ 宛先(身体)=宛名(役名)
 
のようになる。さらに「私を記述する言葉」を圧縮してみたい。つまるところ手紙の「私を記述する言葉」とは「彼がどんな人か」を説明する言葉、いうなればゲームの説明書にのってる「キャラクター紹介」がセリフになってるようなものだ。また「役名」とはキャラクターにとっての〈私〉の意味なので、
 
③’ 送り手(役者)→手紙(キャラクター)→ 宛先(身体)=宛名(私)
 
としてみよう。どうだろうか、わかりにくいだろうか。
しかし、『戎緑地』では、「キャラクターを○○さんの身体へ届ける=〈私〉にする」という役が生まれるメカニズムそのものが、「手紙を届ける」という行為に仮託されて上演形式になっているのであって、実際にやっていることは結構ややこしいのだ。
 
だから、「手紙を届ける」行為を「劇中劇」の構造を持ったメタシアターの暗喩であるとみなせば、
 
④ 送り手(劇作家)→手紙(戯曲)→[宛先+宛名]=役
 
パラフレーズしてみせることも出来るだろう。*4稽古のはじめに台本が手渡されて、「あなたはAさんの役ね」「あなたはBさんの役ね」と役が割り振られるようなものだ。それが舞台上で観客の眼前でもって展開されている、とも言える。
 
ところで、ジャン・ジュネの戯曲『女中たち』では「演劇内で演劇構造を反復してみせる」メタシアター的な「ごっこあそび」の上演形式が用いられたけれど、『戎緑地』が「手紙を届ける」で同じようなメタシアターを展開しているとしたら、筆者にとってはあまり面白いとは思えない。なぜなら、太田省吾が指摘したように『女中たち』のようなメタシアターは、結局のところ「演劇」の構造をなぞってみているだけで、むしろ「言葉で説明できる意味」に(当時の言葉で言えば「文学」に)演劇を回収してしまい、意味に回収されない〈出来事性〉が捨象されてしまう。
 
しかし、どうも『戎緑地』は物語のメタシアターではなく、上演形式のメタシアターと言える次元から、演劇の本質的性格そのものを利用して、とある〈現実〉の位相に光を当てようとしているように思えるのだ。筆者は、この〈現実〉の位相に興味がある。
 
注目すべきポイントは、フライヤーに掲載された「緑地に吸い寄せられた人々は/目的地を持たず、ひたすらに彷徨う」点にあるように思う。確かに舞台の役者たちはどこか虚ろであり、狭い舞台上をひたすらに彷徨っているようにみえる。この「彷徨う」が持つセンシティブな問題を扱うためにこそ、「手紙」の形式が用いられたのではないか? そう考えてみることで、もしかしたら上演が触れようとしている〈現実〉の位相がその正体を表すかもしれない。
 
「手紙を届ける」行為を「彷徨うこと」を触知させる仕掛けとして読解してみせること。そういう方向を睨んで「京都演劇」に内在していたある潮流に『戎緑地』をコネクトすることを試みたい。
 

4、マレビトの会の「分断された演技態」

 「手紙を届ける」行為が持つ意味に光を当てるために「マレビトの会」を主宰する劇作家・演出家である松田正隆の言葉を引用しよう。彼は2012年までの自身の活動を次のように総括している。
 
俳優がその登場人物を演じる「ドラマ演劇」に対して、いわゆる「ポストドラマ演劇」というか、俳優という「身体」と「語り」とがどんどん離れて、ずれきってしまったのが、2012年のフェスティバル/トーキョーで上演した『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』でした。俳優たちがただ、立ったまま、かつて演じた劇を想起していて、観客はその姿を眺めるだけ、という。
 
 
松田はドラマ演劇とポストドラマ演劇の対比を(演技態のあり方に引き寄せたうえで)「語りと身体の一致」と「語りと身体の分断」にみている。そしてマレビトの会では後者の「分断」を実践してきたのだと。では「分断」の手法はどういう演劇的効果を生むのか。
 
演劇は「語り」によって役者が「役」になる、つまりはAさんがBさんに「なる」ことを基本構造としている。マレビトの会はこの構造を敷衍して、「語り」と「身体」を分離することで「語り」によってある「身体」が別の何者かになるプロセスを観客と共有するような場を作る。松田が言うところのドラマ演劇では、役者はすでに「何者か」である「役」を背負って登場するため、AさんがBさんに「なる」プロセスそのものは劇が開始される前にすでに終わっているとも言えるのだが、松田は通常はすでに終わっているプロセス、すなわちAがBという「何者か」になる変容のプロセスを演劇化するのである。
 
このように「語り」と「身体」を分断する戦略から「何者かへの変容そのもの」を演劇化する演技態を松田はポストドラマ的なものとして名指す。といっても筆者はポストドラマ論を展開したいわけではないので、多義的な「ポストドラマ」という用語は用いず、松田の用いた意味に限定して「語り=言葉」と「身体」を一致させる地点からはじまるドラマ演劇の「統合された演技態」に対して、あえて分断させることでドラマがはじまる前の「何者性」を露出させる演技態を「分断された演技態」という風に言ってみたいと思う。
 

5、玉城企画の「多数化された演技態」

 以上のような認識を念頭に置くと『戎緑地』の「手紙の言葉を届けることで彼を役の人物にする」手法もまた「分断された演技態」の次元を狙ったものであることは明白だと思う。これは現代口語演劇が要求する「分人格」(平野啓一郎)によって基礎づけられた関係性の演劇とも違った、いわゆる00年代の青年団系列ではあり得なかった(筆者が知らないだけ、ということはあるのでその場合は指摘してほしい)別ジャンルの系譜を継ぐものである。「分断された演技態」からもう一度「手紙」が意味するものを展開してみよう。すると、このようになる。
 
⑤送り手(役者)→手紙(キャラクター)/ 宛先(身体) ≠ 宛名(私)
 
キャラクターと身体と〈私〉のあいだにはいる「/」、手紙と宛先と宛名の分断。統合された演技態の次元では、そもそもが「手紙を届ける」のように「手紙=言葉」と「宛先=身体」が分断されていない。初めから手紙は手元にある・・・というよりかは、手紙のように外付けHDみたいな外部化のされ方はされないで、あくまでも内部メモリのように身体に埋め込まれている。その時に〈私〉とキャラクターの結びつきは分断されることが想像もされないくらい強固であり、例えば「私は教師です」とか「私はロールキャベツ男子です」とかいう風に屈託なく意識されることだろう。
 
しかし『戎緑地』の「手紙を届ける」上演形式では「キャラクター(にする言葉)」と宛先の「身体」は初めから分断されているわけで、それが〈私〉へと統合されるとは限らない。もう屈託なく「ロールキャベツ男子です」とは思えないのだ。あくまでもそれは割り振られた「キャラクター」であるしかないことが意識される次元が露出するのである。
 
なぜかと言えば、キャラクターを割り振られた側からすればキャラクターは「誰」だからわからない〈他者〉だからだ。ただ「彼はこのようである」というキャラクター(これを「情報」と言っても良いかもしれない)だけが送り届けられる。しかし〈誰〉だかはわからない。誰だかわからないものを役者は引き受けなければならない。なぜそうしなければならないかはわからないが、とにかく手紙がたまたまこの身体に配達されたので役者は〈誰〉であるかわからない〈キャラクター〉にならなければいけないのだ。その時、⑤の形式は実際には次のようにパラフレーズされることになる。
 
⑥ 送り手(役者)→手紙(キャラクター)/ 宛先(身体) / 宛名( 誰? )
 
〈私〉は誰だ。ここで逆手にとられているのは言葉、台詞と言ってもいいのだが、それを口にした途端、彼は何の疑いもなく「キャラクター」になってしまう、そうした演劇の本質的な性格なのだ。「劇中劇」的なメタシアターとの相違点はここにある。「劇中劇」ではキャラクターと〈私〉が結びつく回路がそのまま保存されているのに対し、「手紙を届ける」の回路においては演技が必然的に要請するキャラクターと〈私〉の回路が分断される。まるで〈私〉を持たずに彷徨うゾンビを生み出すように。
 
「宛名」は常に「宛先」より多く、この言葉たちは「宛先」を求めて、私の元に届けられる。そして緑地に集まる人々は「宛名」を求め、徘徊し続ける。いつか誰かが自分を見つけてくれる。そう思いながら何処までも何処までも歩き続けるのだ。そしてこの緑地から出ていくことはない。*5
 
緑地に集まる人々が「宛名」を求めているとは、このように解されるべきだろう。つまり〈私〉を求めているのだと。しかし、送られてくる言葉は「他者=キャラクター」であり〈私〉に統合されはしないのだ。
 
だが、これでもまだ事態は正確に描写されてはいない。松田が語る「分断された演技態」の次元ではあくまでも一対一対応の「身体」と「キャラクター」が分断されていることが想定される。しかし「手紙を届ける」上演形式は、そうした一対一対応の前提それ自体を破棄する。舞台上に大量の封筒(手紙)がばらまかれていたことを思い出してみてほしい。それは大量の「キャラクター」の暗喩なのであり、大量虐殺が起こったあとのように横たわるキャラクターの一つがなぜだかわからないがたまたま偶然〈私〉へと届けられる、そうした意味が孕まれていることが示唆されている。だからこうなる。
 
⑦          →手紙(キャラクター)
        →手紙(キャラクター)→ 宛先(身体) / 宛名( 誰? )
 送り手(役者)→手紙(キャラクター)
        →手紙(キャラクター)
        →手紙(キャラクター)
         ・
         ・
         ・
 

マレビトの会(少なくとも2012年まで)が上演形式のレベルでは、あくまでも一対一対応のキャラクターと身体が分断される次元、言ってみれば「実存」の位相を開示するのに対して、「手紙を届ける」形式は、確かにキャラクターは届けられるが、たまたま偶然この身体へ届けられたというだけで、そのキャラクターは「私じゃない」。こうした多対一対応の「偶有性」の位相を開示するのだ。このような「偶有性」によって特徴づけられる演技態を〈「身体」に対して「キャラクター」が多数化される〉という含意を込めて「多数化された演技態」と呼ぼう。*6

「多数化された演技態」において前面化されるのは「何者性への問いかけ」ではなく、偶有的な世界感覚であり、これほど大量のキャラクターがばらまかれていながらたまたまなぜか〈私〉が〈コレ〉であることへの違和なのである。手紙に書かれたキャラクターを「たまたま割り振られた」としか感じられず、〈私〉そのものにすることが出来ない人々。それがゆえに、いつか誰かが〈私〉の〈本当の名〉を見つけてくれることを切望し、手紙=キャラクターを求める人々。そうした者たちが徘徊する場、自分が何者であるかを支えるアイデンティティが常に浮遊し続ける根無し草たちの住むところが「戎緑地」なのだ(Twitterで「ニュータウン」を思い起こしたという感想が散見されたのは、それがゆえだろう)。

 

6、ドリフトするマレビトたち

それでは、「手紙を届ける」上演形式によって光を当てられる〈現実〉の位相とはなんだったのか?
 
「手紙を届ける」上演形式は、キャラクターと〈私〉を分断し続ける仕掛けであり、〈統合された演技態〉の次元では隠蔽された「さまよい続ける根無し草」の現実を露出させる装置として働いていた。大量に敷き詰められた封筒(手紙)の上を所在なさげにうろつく役者たちは、とにかく「手紙」によってキャラクターになってはみるものの、どの手紙が〈私〉なのかがついにはわからず彷徨い続けることを運命づけられている者たちだった。
 
言葉が常に〈私〉に統合されない。こうした「分断された演技態」の問題は、もちろんベケット『私じゃない』を鏑矢に現代演劇が抱え込んだ問題系であるが(だから「マレビトの会」にもベケットの系譜が流れ込んでいると言わなければならないが)そうしたことには踏み込まず、当初に予告したように「手紙」の持つ意味を玉城の境遇と重ねてみることで「彷徨うことを強制する現実」とは一体何なのかを、明らかにしてみたい。
 
玉城は京都から東京へと移動した。筆者の経験上、京都から見える東京演劇は、演劇を司る〈法〉のように見える。批評家・東浩紀の登場とともに人口に膾炙した「大きな物語―小さな物語」のフレーミングを借りれば、東京とは「演劇業界そのもの」であり、そこにコネクトされることは私の演劇活動という「小さな物語」と演劇業界の目指すべき方向性である「大きな物語」をつなげてくれるように感じられる。今は(小劇場の)演劇業界そのものは「青年団」と名指されるので、少し前の「小劇場すごろく」にかわって「無隣館―青年団」のラインが、自らの演劇活動を意味づけてくれるかもしれない物語に見える(だろう)。
 

一応留保しておくのだけれど、京都での演劇活動は先が見えない。というよりは、その演劇活動を意味づけてくれる審級が存在しないため、この活動が果たして何らかの意義ある活動なのかがわからない。それだから「東京に行けばなんとかなるんじゃないか」という謎の神話も生まれるのである。これは馬鹿らしいことだろうか? 筆者はそう思わない。どのように生きるとしても、社会の総体を代表しているであろう「物語」によって私を「何者か」として意味づける「大きな物語」を求め振り回されてしまうのは、僕達の精神史に刻まれた深い傷だと思うから。*7

 
確かに、京都から見える東京(演劇)は一つの大きな塊に見えるのだ。だから、なにか自分の演劇人生に意味付けをしてくれるような「大きな物語」が存在するような「気」がする。しかし、そうして京都から東京へ移動してみた時、東京という地はどんな土地に見えるのか? その問いに『戎緑地』は―先ほどの結論の反復になるが―簡潔にこう答える。
 
大量にばらまかれたキャラクターを演じ続けながら、いつか誰かが〈本当の名〉を見つけてくれると切望するような人々が彷徨う「根無しの場」である、と。
 
これは完全に妄想なのだが、玉城の眼からは東京がそのように見えたのではないか? 手紙は、だから「彼」を何らかの役割に割り振る言葉は大量にある。しかし、それはたまたま割り振られているに過ぎないのだから〈私〉じゃなくても良い。そういう偶有性の感覚に放り込まれた時、結局のところ〈私〉の演劇活動の必然性を意味づけるような「大きな物語」など存在せず、あるのは偶然たまたま「こうなっている」としか言いようがない次元であり、無根拠なキャラクターを演じ続けながら内部に巨大な空洞を抱え続け浮遊する「根無しの生」にすぎない、と。
 
ここまで読んでくれた人がいたとしても、このオーバーラップのさせかたが牽強付会にすぎるというご批判が飛んで来るのは目に見えている。だが『戎緑地』というタイトルの「戎」は「エビスさん」であり、折口信夫によればマレビトの一種、海の向こう(常世の国)からやってくるおそるべき神でありながら、記紀神話に出てくる「蛭子(ひるこ)」とも同一視せられる神である。イザナギイザナミの二神が国産みの儀の手順を間違ったために生まれた蛭子は手足のない不具の子であったため、海に流され捨てられた。その蛭子の帰ってきたのが「えびす」である。そういう民間伝承が残っている、という。
 
だから「戎緑地」とは「マレビトの住まう緑地」であって、いや、マレビトは来訪神であるから一定の土地に定着などしないので「マレビトの住まう」は語義矛盾なのだが、しかし「戎緑地」の響きは、帰る場所を失ったマレビトの境遇を思い起こさせる。マレビトは来訪したその土地では何者でもないものである。では何者でもないが帰る場所を失った時、一体そこでどのように生きていけば良いのだろうか? ドリフト(漂う)する。マレビトはドリフトし続ける。そうする他ないだろう。「東京」とは「多数化された演技態」をドリフトするマレビトたちの寄合の場なのである。
 
そうした〈マレビトから見える世界〉を劇場空間に定着させてみるような試みが『戎緑地』だったのではないか、と思えてならない。
 

*1:実際、上演を見ている最中にはそうした連想は全くなかったのだけれど、アフタートークで玉城が「東京にいることの違和感」をかなり赤裸々に語っていたからか、その内容を補助線にして脳内で『戎緑地』の再演/再編が起こった、ということを付け加える。

*2:玉城大祐『戎緑地』より。

*3:ここで柄谷行人日本近代文学の起源』を思い浮かべるのは、多分適切なことだと思う。柄谷が内面と風景は言文一致の透明な文体によって初めて作られた(捏造された)ものだと言うように、玉城の自然主義的な筆致は、内面と風景が観客のうちで捏造されるように働きかける。ここで僕はどうしても、坪内逍遥シェイクスピアとの格闘からついには文語体から口語体への翻訳を成し遂げたように、耳で聞いて明快に理解できる意味を求めた新劇運動への回帰の匂いを嗅ぐ。匂い、とは全く明快ではないのだが、新劇からアングラへいたる演劇史的なコンテクストを念頭に置くと、例え、玉城の劇作がカフカ的なシュルレアリスム調の展開を見せたとしても、演劇についての演劇を反復してみせる自己言及的な手法によって、結局のところアングラが批判した新劇の本質を露呈させるだけではないか? 例えば、手元にたまたま「別役実の世界」に寄稿された管孝之の「あまりに方法的な―ことばの前衛・別役実」があるので、引用してみる。


「新劇の作家は、台本を、小説やエッセイや論文を書くように、不特定多数の読者に向けて書く。その台本を上演する俳優も、あくまで読者の中の一部分」であり、「書き手と読み手とは同一のコードを共有しており、こちらのことばとあちらのことばが同じ”日本語”でありながら全くちがったコードをもっていて、ひょっとすると同じ用語が全く別の心情や行為を示すことがあるかも知れないなどという危惧が、入り込んでくる余地はほとんどないのである」

言葉が観客に、それどころか俳優にも、自分自身にも通じているのかわからない、そうした言葉の意味への不信が、アングラ世代が特権的な身体性を重視した理由だった。しかし、『戎緑地』においては、言葉の意味は字義通りに俳優を動かし、字義通りに風景をイメージさせる。上演が言葉を裏切ることがないのだ。こうした言文一致が前提とされた透明な表象言語による演劇をこそ転覆させることが68年以後の小劇場演劇運動だったのではなかったか。このあとの論述を完膚なきまでに先回りしてしまうが、筆者が本稿で展開する読解は、ある程度理念化されたものであることを告白しておきたい。筆者の最大の不満は上演において「手紙が誤配される可能性が予め禁じられている」ところであり、そのための手立てがほとんど講じられていない点に尽きる。それは、太田省吾が「劇を意識化することはやさしくない」と言ったように、結局のところ「劇を意識している普通の劇」に終止してしまうように見えるのであり、「歩くこと、立つこと」それ自体がなにごとかであり得るような「直接性の場」を押し開くことがない。手紙はおよそ手紙にかかれていたとは思えない「何事か」へと身体を介して変異しなければ、「普通の劇」であることを免れ得ないのではないか。あれほど大量の手紙がばらまかれていたことの意味も単なる絵解きで終わってしまい、「あー、セリフ覚えてるよね、それは装飾だよね」と観客は見透かしてしまう。

とは言っても、太田省吾が身体を「コレであるもの」として露呈させる『水の駅』が、高度情報化社会における「複数の情報によって空洞化する身体」を批評することが敵わないのに対し、『戎緑地』はそうした「大量の情報に浮遊する身体」に触れようとしていると、筆者には思われる。だから、言葉の意味で全てが一義的に決定される(ように見える)上演のあり方は、玉城自身が実現したい位相を裏切っているように感じられるのである。

*4:近年のメタシアターの傾向については綾門優希「疑心暗鬼的メタシアター」に多くの事例が挙げられているので参考になるかもしれない。http://school.genron.co.jp/works/critics/2015/students/ayato/647/

*5:玉城大祐『戎緑地』より。

*6:東浩紀存在論的、郵便的』で展開されたクリプキデリダの対立―否定神学vs散種―を思い起こすので、そのあたりのコンテクストを引き寄せたかったのだが、筆者がこの本を誰かに貸したまま手元にないので、出来ない。

*7:だからこそあえて、そんな物語に振り回されるのは馬鹿らしいと筆者は言いたい。意味付けなんてものは必要がない。筆者自身は、東京での演劇活動を通じて、むしろ京都に内在する「意味付けなんて無視して各人てんでバラバラに活動する」あり方に演劇の可能性を見る。それを批評的にフレーミングしてみることを、なんとか足掻いてやってみたいと思っている。その方向での「足掻き」は「仕事と自事―私的なものからなる公共圏」をご参照ください。

marron-shibukawa.hatenablog.com

演劇の問題の全て

誰の言葉であっても聞きたい。

あらゆる社会的な立場を超えて、聞きたい。

 

演劇は集まりを生むものであって、作品(出力された結果)を生むものではない。

演劇は「集まり」のあり方を構想することに全力を注ぐ。

それが「私の現れ」を強く強く、内包するものであればあるほど、「良い集まり」である。

 

しかし「私の現れ」と「集まる」ことは矛盾している。

これが、問題の全てである。

 

だから、様々な戦略で持って、演劇は集まりを組織する。

そうして、本来、「私の現れ」を集合させようとした演劇の試みは常に挫折する。

 

挫折するのだ。

これが、問題の全てだ。

仕事と自事―私的なものからなる公共圏

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1.自事≠趣味
 
仕事と自事、とは僕が考えたわけではなくて脚本・演出家の中野成樹氏が提起したフレームワード。藤原ちから氏が企画した「緊急ミーティング「政治、いや芸術の話をしよう」」の記録に出てくる中野成樹氏のメッセージで触れられた。
 
※以下、敬称略。
 
仕事と自事。これ、ものすごく優れた概念操作だと思う。
僕は、《私的なものからなる公共圏》と言い得る集まりのあり方を夢想しているわけなんだけど、その説明はちょっと置いておいて、中野成樹が何を言っているのか、引用します。
 

「今回のイベントと、ずれてしまっているかもですが。
なんか、この話をきいたときに、
こんなことを思い出したのです。

たとえば大学生。
就活にヘロヘロになっている学生に、
どうして就職するの? ときくと、
仕事してお金稼がないと生きていけないし、とこたえる。
ので、仕事って何?
ときくと、
お金を稼ぐこと、とこたえる。
お金って稼がなきゃだめ?
ときくと、
お金がないと何もできないし、とこたえる。

ので、おおよそ以下のことを伝えたり、やりとりをする。

仕事ってのは、字のごとく、仕える事だよねえ。
はい。
じゃあ、誰に仕えるの?
ときくと、
社長、企業、などとこたえる。
中にはカンのいい学生もいて、
社会に仕える、なんてこたえりもする。

そう、一般的な意味での仕事ってのは、
おそらく社会に仕える事なんだろうねえ。
そして、その対価として、
「社会のみで通用する」お金をもらえる。
みんなで社会に仕えて、
みんなで社会からお金もらって、まわして、
みんなで社会に生きていこう。

一方、じゃあ、お金がもらえなくてもやる事ってある?
ときくと、
寝ること、食べる、アイドルの追っかけ、などとこたえる。
さらには、
犬の散歩、とか、カラオケ、とか、ダンス、とか、
おたく、とか、芝居とか、瞑想、とか、ネット、
なんてこたえる学生もいる。
さらには、
お母さん、弟と遊ぶ、お年寄りに席を譲る、などなど。
そこで、僕は、
じゃあ、そういったことを
「お金もらえないならやらない」ってなったらどうなる?
妊婦さんに「500円で席譲りますけど、どうします?」
みたいになったら、
ときくと、
多くの人は「終わりだよねw」みたいなことをこたえる。

じゃあ、お金にならないけどやる事を、
仕事をもじって自事(じごと)とよんでみよう。

みずから行う事、おのずとやってしまう事。

自事は、それをどれだけやってもお金はまったくもらえない。
極端に言い換えれば、
自事は社会から報酬を、評価をまるでもらえない。
なぜなら、それは仕事ではないから。

でも、みんな知っている。
自事がなくなったら「終わり」だってことを。
自事は社会には認められないかもしれないけど、
自事は世界を根底から支えている。

 
社会に使える事が仕事で、自ずとやってしまうことが自事(じごと)であると、彼は言ってると思うのだけど、この概念操作によってはじめて趣味でくくられていた領域が、仕事の付属物の地位から脱出できる可能性が見えた。
 
私的なものの意味を理解する方途ってかなり限られていて、今までもなんとか、アレについて触れたいけれども言葉にできず、結局仕事でも趣味でもない領域みたいな形で、否定法によってしか言及できなかった。
 
ところが!
中野成樹氏が「仕事と自事」という概念を豊かに取り出してくれたことで、報酬を得られるわけではないがやっている私的なものの領域に「趣味である」以外の光の当て方が出現した。つまり、社会に仕えることー仕事ーと対比されるのは趣味ではなく、自ずとやってしまうことー自事であると。
 
趣味っていうのは社会が色んなものやサービスを生産していく合間の時間、再度、社会に仕えるための「リフレッシュタイム」すなわち「余暇」である。これでは仕事が《主》で趣味は《従》の関係を超えることが出来ない。〈私的なもの〉はいつまでたっても、社会に仕える従者の立場に据え置かれる。
 
しかし「自事」は、(中野が指摘するように)社会に使える「仕事」と全く同じ資格を持つことが出来る。私が社会に仕えるのではなく、むしろ社会のほうこそが私の「自事」に仕えるべきだ、とすら言える。もしくは、自事の集まりとして社会を再認識することも可能だ。つまり仕事の持つ意味領域から相対的に独立しているのだ、自事は。
 
だから、ひとまず次のように言えるようになる。僕にとって演劇活動は仕事ではなく自事であり、趣味はラブコメの漫画を読むことであると。
 
2.自事とパブリック事
 
中野成樹が的確に抉り出した「自事」こそ公共圏の土台なのだ、ということもできる。「緊急ミーティング」が公共の基礎概念と考えられる「自事」について言及していなかったのは不思議なことだ。なぜなら、自事がそのままパブリック事になるのが政治についてー大文字の政治であれマイクロポリティクスであれー語り得る条件になるからだ(ルソーの『社会契約論』そのままの意味で)。
 
問題は、自事がパブリック事に接続されない、もしくは、それぞれの自事を確認しあう場がー言い方を変えれば他者が開示される場が、だからパブリックな場がーそれほど必要とされていない、そういう関係性のメカニズムで私たちが社会を運営していることだ。*1

だから、自分のこと、自分はこうであるということが、政治的な要求である「権利の主張」として受け取られる場が用意されない。「私はこうである」が全て権利ではなく、利権の要求であるかのようにしか受け取られない。
 
そうなると、大文字の政治的イシューは「ある人たちの利権を拡大したいってことでしょ」と受け流され、マイクロポリティクスは「あなたの私的な感性の話でしょ」と黙殺される。どうやっても、自分のことが集まりの中で機能しないのだ。がゆえに、私たちは知らず知らず、対話をする必要性をそもそも感じることができない状況に埋め込まれていく。モヤモヤだけが個人の中に溜まっていく他ない。
 
どうもこのようなカラクリが、私たちの精神史の中に逃れ難く埋め込まれている。自事が問題にされる感性から、こうした議論が展開できるように思うのだ。
 
3.自事の二重性
 
しかし、仕事と対比される自事を”パブリック事"にそのまま対置させてしまっては、自事が持つ重要な含みが削がれてしまうとも思う。細かい話になっていくけど、自事は「自ずとやってしまうこと」と「自分がやりたいこと」「自分がやらなければならないこと」といった複数の位相を含む。
 
「お金もらえないならやらない」ってなったらどうなる?
妊婦さんに「500円で席譲りますけど、どうします?」
みたいになったら、
ときくと、
多くの人は「終わりだよねw」みたいなことをこたえる。
 
中野成樹は、「妊婦に500円で席を譲る」といった想定を上げて、こうやって全てが仕事になり報酬ありなしだけが行為の基準になったら、「世界は終わる」と言う。「自ずとやってしまうからやる」行為が実は世界を根底から支えている、と。その感覚は多くの人が共有するところだろう。
 
だが、例えばたまたま「自ずとネコを殺したくなってしまう」人がいたらどうだろう。もしくは自ずと「人をいじめたくなってしまう」人がいたら? その行為が世界を根底から支えていると言えるだろうか? この想定に、あまり多くの人の共感が得られないのだとしたら、世界を根底から支えているのは、「自ずとやってしまう自事」ではなく、「自ずとやってしまう自事」と「自分がやらなければならない自事」がたまたま一致しているからにすぎないということだろう。つまり「私は人をいじめないことをしなければならない」とか「私はネコを殺さないことをしなければならない」とか「私は妊婦に席を譲らなければならない」といった自事が「自ずと」されることで、世界の根底は支えられている。
 
自ずとなされることが、自ずとなさねばならないこととたまたま一致する、そういう前提からしか、パブリックな場を想定することはできず、それを一致させる理念が論理的な意味によってお互いを確かめ合うことができるような、つまり対話を成し得る理性を持った「主体」の概念である。主体は自ずとしてしまう自事を成し得る自由を有しており、なおかつ、別の主体の自事を自分の自事と同じように扱う平等の義務を負っている。
 
こうした主体のフィクション性によって支えられるのが、パブリックを内面化した民主主義社会であると、そのようにひとまず、確認することができる。《自事》が《パブリック事》に接続されるためには、自事の二重性が必ず要請されるのであって、主体の権利―自ずとなされること・自ずとせねばならないことが一致する私―が幻想されるところにしか、《パブリック》な場は成立していかない。
 
4.私的なもののうごめき
 
しかし、僕は(そしてもしかしたら、中野成樹も)「自事」をより純粋化して「ねばならない」との一致を差し引いてしまいたいのだ。自事を「自ずとやってしまう」という意味にだけ限定して「世界のあり方」を理解したい衝動にかられる。つまり、「自ずとネコを殺したくなる」ような自事が起こりうる可能性を含みこんだまま、「パブリック」な集まりを構想できないだろうか? と考えるのである。
 
本来、「自事」は制御不可能な「私のうごめき」のようなものであるはずだ。「ネコを殺したくなる」が過激すぎる想定だとしても、例えば「ひとつの机とふたつの椅子とシェイクスピア」で取り上げた羽鳥くんのポストパフォーマンストーク*2は、およそ「対話」によって理解可能な《意味》でもって確かめることが出来ない感覚的な余剰を含んでいたからこそ、異様なものに感じられた。「おのずとそうなってしまう」感覚が前面に出てくれば出てくるほど、人間は理解不能なものになっていく。しかし、それこそが世界の実質なのではないか? そうならないように、「主体」概念によって《自事》の最も根底的な意味を覆い隠しているのではないか?
 
このように、僕が少し入り組んだ事情を考えるのは、僕が擁護したいと思っている極私的なもの、それが集まりの中で現れ確かめられるような集まり方、つまりは《私的なものからなる公共圏》と名付ける集まり方が、こうした入り組んだ事情のうちに隠されてしまうからであり、こうした事情を考慮しないと、探り当てることが出来ない、と思うからだ。
 
僕が言う《私的なもの》は、二重に隠されている。第一に「仕事―趣味」の連合軍によって、第二にパブリックな場を形成する「主体」概念によって。報酬を得ない活動が全て「趣味(社会に再度仕えるためのリフレッシュタイム)」と名指されてしまうことについては指摘した。しかし、《自事》という概念を《仕事》に対置させることで、《私的なもの》は独立した領域を形成する可能性を見せるし、さらにはこうした《自事》と《パブリック事》が接続されることで、私たちの集まりにおいて《私》が集まりの中に現れる政治的可能性を担保できることが確認された。ところが、こうして現れた《私》は「自ずとなされること」と「自ずとせねばならないこと」が一致する《主体》概念によって支えられているのであって、自事が集まりの中に現れる可能性は、「あなたをわたしと同じようにあつかわねばならない」ことの条件をなす「論理的な対話によって行為の意味が確かめられる主体」の概念によって覆い隠されていくのである。
 
※「論理的な対話によって〜」の部分、平たく感覚的に言えば「ちゃんとした人間」です。
 
したがって、僕が言いたい意味での《私的なもの》をすくい取り、それら《私的なものからなる公共圏》を構想するためには、意味的に理解できない、感覚的なうごめきのようなものこそが、実は世界の実質であり世界を支える見えない原理であることを言わねばならないし、それを確かめあえるような場を設計してみせる必要がある。
 
これはかなり難しい作業だと思う。ここまでの説明が難しい話に見えると思うし。
ところで、《トマソンのマツリ》という実践は、実はそうした《私的なものからなる公共圏》を構想する実践である(ということに、この文章を書いていて気づいた)ので、《トマソンのマツリ》と言葉を用いた批評活動を両輪に、なんとか、このあたりをまさぐっていきたいものだ、と思う。

*1:僕が理解する《公共》の概念については、下記の記事をご参照ください。

「トマソンのマツリ」赤裸々稽古場レポート

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2017年1月某日。
By 稲垣和俊
 
1月28・29日に仙台で上演する《トマソンのマツリ》の稽古レポート。
 
**************
 
渋革 とりあえず最初にかなり前に出したインストラクションの中からなんかしよう。(ノートを見る)どれがいいかな。
稲垣 これでしょこれ。
 
①稲垣、口にブラックホールというインストラクションでぶらんこを読む。
途中で止める。

 

稲垣 なんやこれ。
渋革 想像以上にダメやな、なんでこれ、使えるかも表記にしてんの?もしかしたら、このノートに書いてるの全部使えやんかったりして。
稲垣 いや、そんなことないでしょ、愛の周波数を奏でなさい、とか使えるでしょ。
渋革 顔にサランラップを巻いてしゃべりなさい、やってみたいわ~。
稲垣 いや死ぬ死ぬ、死ぬから本当に。
渋革 よし、これしよう。ちょっと、怖いけど
 
② 稲垣、ぶらんこのセリフの一つ一つの単語が違う意味をするように発語する。
例 昨夜はね素敵な夢を見たよ。→裂く、矢、輪、根、捨て、来な、有名、oh、みた 、YO。
 
渋革 いいね。まさかの。
稲垣 えっ、いいんですか?
渋革 距離があるよ、とてつもなく、セリフとの間に。二十世紀演劇史を感じるよ。
稲垣 大げさだな。
渋革 いやマジで。前からやってるボルタンスキー(稲垣が行ってきたボルタンスキー展の展示の質感+自分の気持ち悪いタイミングでしゃべるというインストラクション)にもこの雰囲気ありますよ。
稲垣 ほうほう。
渋革 ちょっと、これで途切れ途切れの発話をつなげて、しかし今の感覚維持してやろう。
 
③稲垣、やる。
 
渋革 オッケイ。オッケイ。
 
休憩中。
 
渋革 鏡を見ながらボルタンスキーやりたいね。
稲垣 何でやねん、どういうことなんすか!
渋革 いや実はこれの影響やねん。
 
渋革、ラカンの本を見せびらかす。
 
渋革 夢やし、そしたらなんか色々影響されましてね。鏡とかまさに、この本からだし、最近稽古場で発する突拍子もない言葉もこの本からですねん。
稲垣 まじかよ。
渋革 それで、こういう話があると、赤ちゃんは鏡を見るまで、自分の身体の感覚がないと、こう自分がウニャウニャ~て存在してるような感じらしい。そして、鏡を見た時、自分が形としているのを見て、喜ぶらしいよ。
稲垣 へえ。
渋革 トマソンも自分の身体がなくなって感覚だけになってく感じあるくない?
稲垣 なるほど。
渋革 てことでこれを踏まえてなんかやってよ。
稲垣 ええ~、具体的アイデアのなさがひどい。
 
④稲垣、セリフの俺と言う部分でタメたり、何かを吐き出す様に言う。
最初の方は、自分を指すという意味で胸をポンとたたく仕草から、話が夢に入っていくと、俺が膨らんでいく、足を差して俺と言ったり、上を差して俺と言ったり、ていうようなことをする。

 

稲垣 ベストパフォーマンス賞、受賞ですわ。
渋革 いや、良かったけどね、良かったけどね、かなりブランコの上演としては的を得ているが、祀りではないなあ、今のを祀りとしてやってみてよ。
稲垣 だからどうすればいいんだよ、プリーズ具体的アイデア
 
⑤稲垣、机の上に顔を乗せて、指人形がしゃべる感じを、後ろの顔が見てる。という感じ。

 

渋革 なんか、おしい。
稲垣 おしいの、これ。
渋革 捧げてる感があるね、顔に。
稲垣 そうそう、この机が能舞台って感じでね。
渋革 でもこれに飛び込む勇気はないっ。もっとないかな。もっと宙に浮いてる感じ出ないかな、根無し草的な。
 
⑥稲垣、登場して、机の前に礼儀正しく靴を置き、机に座る。
指人形ならぬ、足指人形さながら足をしゃべらせる。 そして、夢の話に入るとどんどん足が高くなり、最終的に寝そべりながら、足を高々と掲げる。
 
渋革 かすってるね。
稲垣 かすってるんですか?
渋革 まず、最初に姿勢を整えてるのが良かった。
稲垣 えっ、そこ?
渋革 演劇で姿勢を整えるやつ、おる?始めるまえとかしゃべる前に舞台上で。
稲垣 まず、リアリズムならできないですやん。
渋革 リアリズムでなくてもしないよ。
稲垣 確かに。
渋革 そして1人遊び感が儀礼て感じがする。この人にとってこれをやることで何か変化してくみたいな。
稲垣 なるほど。
渋革 今まで見つけたトマソンもそれぞれの動きとかが、儀礼て感じがするよ。
稲垣 ブランコをすること自体が儀礼にならなければってことですよね、例えば、今まで見つけたトマソンの例えば、きれいな左手=ぶらんこ的な。
渋革 これをやってみよう。
 
⑦稲垣、フロイトに出てくるらしい糸巻き遊びをする赤ちゃんのように、言葉をポンと投げるように発話し、それを聞いて喜ぶ、という無邪気な赤子のようにしゃべる。
 
渋革 かすってるね。
稲垣 かすってるの、ただの赤ちゃんプレイやん
渋革 しかし、どれも飛び込む勇気はない。
稲垣 決断力ですね。
 
渋革、悩む
 
渋革 さっきの俺のとこでためるやつをもっと演説じゃなくやってよ。演説てエンターテイメントやん、
 
⑧稲垣、やる。
稽古場の放送アナウンス

 

渋革 とりあえず宿題、ぶらんこの中からトマソン的身振りをあと5個抜き出してきて
稲垣 へい。

2016年を振り返る

2016年を振返ります。
 
1〜3月 働く。デッサンの勉強をする。
5月 tana+kari『孤独の光』/フライヤーなどデザイン・音響オペ
6月 『トマソンのマツリ(準備)』ーから研ダンスフェスに出品/演出
7月 『トマソンのマツリ(準備)』ーせんがわ劇場演劇コンクールに出品/演出
8月 村川さんのWSを受ける
         「じゃんがら念仏踊り」に参加
10月 『トマソンのシェア会』ー"情熱のフラミンゴ"のアトリエ「浮ク基地」で開催/演出
10月 小学生相手に初ワークショップ
11月 「熱血!生田萬が行く!」助手
12月 250km圏内『妻とともに』/フライヤーデザイン・コンセプトブック作成
12月 ユバチ『点と線』/フライヤーデザイン
12月 ハチス企画インタビュー連載「アプローチ」を開始
 
今年の特筆すべきことは、「トマソンのマツリ」が死なずに持続したことと、デザイン関連のワークを幾つかこなしていったことだろう。ここ数年の編集・デザインの集大成は小嶋一郎(250km圏内)コンセプトブックに結実したと思う。それはもちろん、250km圏内がその活動に関わらせてくれつつも、僕を本当に自由に放し飼いにしてくれた、その結果だと思う。良い距離感で、僕が一番力を発揮できる距離感で付き合ってくれたことに、感謝している。
 
もともと、僕は、「とまる。」のような批評・編集の活動から手を切ろうとして東京に行った。そういうところがあった。だけど、なんだかんだ過去に培ったものは僕を離さないし、そこで蓄えたものを今年は使っている気がするし、僕もそれが嫌じゃないと思っている。元「とまる。」編集長としてインタビューを受けたことも、京都時代と「今」が切れていないことを感じさせてくれた。
 
来年は意識的に少し、批評活動に力を傾けてみたい、と思う。
 
そして、当然、トマソンのマツリである。
僕の中心はこれだ。「トマソン」というタームに出会えたことは、幸運だった。そして、から研ダンスフェスやせんがわ劇場演劇コンクールで、多くの人に「トマソンのマツリ」の活動を知ってもらえたのは、大きな推進力になった。
 
来年は、定期的なリズムを作ること、そして、戯曲にチャレンジすること、具体的には岸田國士の初期戯曲を「トマソンのマツリ」として解釈して上演すること。また、10月に「トマソンのシェア会」を開催して、小さく小さくやっている、その成果を発表できれば、来年はOKって思う。
 
とにかく、ゆっくりと、やろう。
もう、僕は世間的に・業界的に承認されるステップを目指していない。僕の中にも残っている、こういう欲望はなんとかして完全に断ち切りたい。同時に、そうした《私的な活動》が持つ意味の基盤を、批評的に確定させてみたい。
 
今後の僕の演劇活動の全ては、そうしたことだけに費やされる。それがわかる。
 
最後に、僕が受けたインタビュー記事のURLを、記録として載せる。こうして、多少なりとも、世に発信できる場を設けてくれた柏木さん・神田くんに感謝したい。
 

レビュー企画 第3回 高田斉ーーー『とまる。』書き留めの先人
http://kyotostudentstheaterfestival2016.blogspot.jp/…/blog-…

 

コンクール直前インタビュー!(6)<トマソンの祀り>のための集まり
http://sengawagekijo.tamaliver.jp/e426164.html

 
稲垣くんにも、まふみさんにも、よっしーにも、ゆかりさんにも、前田さんにも、島村さんにも、直人さんにも、みきさんにも、感謝したい。
 
 

プリズマン『プリズマンの奇妙な冒険』/観劇スケッチ

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2016年12月10日〜11日
@十色庵
 
プリズマンは宮尾昌宏、竹田茂生による演劇ユニットである。処女作はクライスト『地震の話』を原作にした『ハピネス・イン・ザ・トゥルース』。これを2014年に発表。続く15年には観客席が取り払われ、茶会記というアートスペースの三つの部屋を用いた同時多発的パフォーマンス『脱出の時代』を発表。そして、今回は新たに笑いに焦点を当てた短編集『プリズマンの奇妙な冒険』のお披露目となった。僕はなんと、この三作品すべてをきちっと見ている。年に一度のペースで作品を発表しているプリズマンの作風は安定せず、一作ごとに全く別のテイストになっていくのが、何となく面白い。
 
しかし、プリズマンの脚本・演出を務める宮尾の視点は常に一貫している。視点というか、何だろう、「わからない」という感覚をとにかくなんでもかまわない、手法なんてどうでもいい、そのときたまたま興味を持った手法でもって観客とこの「わからなさ」を共有しようとする姿勢は、作風の違いを超えてプリズマンの通奏低音となる。
 
ちょっと取り急ぎなんで、あまり細かいことに言及しないけど、今回の三つの短編のうち、多分メインであろう最後の「シン・テトリス」は非常に不思議な質感を持った作品だった。この40分程度の短編のあらすじは単純で、なぜかある狭い場所に囚われた男が、なぜだかわからないけど落ちてくるテトリスをなんとか消していき、最後には解放されたと思いきや、なぜだかわからないけれどもう一度囚われて宇宙空間にロケットで飛ばされる、というもの。
 
まぁ、なんだかわからない。なぜ囚われたのか、そしてなぜ途中で落語調で俳優が話すのか、なぜ途中でいきなりラップを歌い出すのか、なぜ女子高生らしき女がやってくるのか、なぜ宇宙に飛ばされるのか・・・。脈絡が、ないのだ。そして、僕はドゥルーズガタリが唱える「リゾーム」の概念を思い起こす。
 
リゾームないし多様体としての操り人形の糸は芸人ないし人形遣いの、一なるものと仮想された意図にかかわるのではなくて、神経繊維の多様体にかかわるのであり、この神経繊維が今度は、はじめの諸次元に接続された別の諸次元にしたがってもう一つ別の操り人形を形作るのである。
 
ツリー的な一つの超越的価値によって組織していく有機体に対して、リゾーム的なうごめきが対置される。宮尾は、その劇団名(プリズマンー乱反射する男)からしても、活動の最初に(ドゥルーズガタリリゾームの最もたるものとして言及する)クライストを選択したところからしても、そして、脈絡なく複数の劇形式が串刺しにされていく時間の構成の仕方にしても、何かしら、リゾーム的な神経繊維の多様体を思わせる。というのはつまり、その劇があまりにも《私的》なものであるということを意味する。テクストを執筆した宮尾の「わからない、わからない」というつぶやきに、なぜ僕は囚われているのか、男はなぜテトリスを積み上げては消しているのか、テトリスが天井まで積み上がるとどうなるのか、男が抱えるテトリスを消していかなければならない言い知れぬ不安は何なのか、なぜ男は何らかの形式の力を借りて喋り続けなければいけないのか、一切答えがないこれらのわからなさに観客は延々と付き合わされる。
 
普通は、だ。一定の古典的なドラマトゥルギーを理解しているものからしたら、主人公は葛藤を生み出す問題に対して何らかの行動を起こしたり、そしてその問題の意味の解像度をあげてみせたりするだろう。この何ら答えの出ない、というかそもそも答えの仮設も立てられない、かといって不条理劇のような構造的に示される無意味さー例えば「ゴドーを待つ」構造から、その無意味さを暴いていくベケットのような―があるわけでもない、ただ「わからない」と言われ続ける体験は異常だ。しかしここには擁護されるべき《私的価値》があるのだと、僕は言いたくなる。
 
観客は、こうした一連の脈絡のない、そして答えのない「わからない」があの手この手で示唆されていく時間と付き合う内に、宮尾が抱える神経系に触れていくことになる。神経系は統御できない。とにかく信号があらゆる領域へと拡散し、例えば何かの危険を知らせる。まとまった意味が生じる以前の神経繊維に広がる危険信号。この、ビビビと走る信号を、観客は共有させられる。意味はわからない。しかし宮尾のカラダの内に広がる統御不能なイマージュのうごめきが、まるで自分自身が宮尾に同一化してしまったかのように察知させられるのである。
 
プリズマンは、もしかしたら公共的な、演劇の言説空間に位置付けられるようなポジショニングを持てないかもしれない。その《私的なもの》を客観的な表現に変換してもらわないと、どうにもならないよ、と思われるかもしれない。だが、そうした客観性の欠如を要件とした《私性》こそを、僕は興味深いと思ったし、何か非常に重要なことだとも、思った。

《公共性》は単に必要とされていないのでは? 250km圏内京都公演で思ったこと。

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この冬、小嶋一郎・黒田真史による劇団「250km圏内」の京都公演『妻とともに』に同伴し、主にコンセプトブックの製作作業を担った。そのなかで、《公共》について、自分なりに腑に落ちることがあったので、書き留めておきたい。

※ただし、小嶋一郎の唱える劇場論・対話論とは重なりつつ無関係である。
 
 
 
 
 

「私たちが一緒に食事をとるたびに自由は食席に招かれている。椅子は空いたままだが席はもうけてある」

(ハンナ・アレント『過去と未来の間』)

 
ハンナ・アレントはそう言う。椅子は空いたままだが、席はもうけてある。「自由」の座る席が、というのを「あなたの座る席が」もうけてある、と理解するならば、これは端的に《公共》の輪郭を言い当てている(と思った)。つまり、「あなた」の存在が認められていること、そして食卓を囲んで言葉を交わす用意があること。こうした事態を指して《公共の場》と言うのだろう。
 
一般論としてはそれで納得なんだけど、だが「あなたの席がある」「あなたと言葉を交わす用意がある」と、ことさらに言わなければならないとは、一体どんな状況なのか? これってかなり特殊な状況なんじゃないか。なぜなら、僕らは僕らの席がそこにあるのは普通のことだと思っているし(居酒屋で友達とテーブルを囲む)、言葉を交わすことに何か困難があるとも思えないからだ。
 
そんなことはない、この社会に席を持たない人はいるし、彼らと言葉を交わす場を設えることは常に課題なんだ、とは言える。しかし僕が指摘したいのは、日常的に実感できるレベルで「あなたの席はある。あなたと言葉を交わす用意は出来ている」なんて意識することがどれほどあるだろうか? 飛躍させて、こうも言える。観客席に座るときに「わたしはここに座らざるをえない」または「わたしの席がついに用意された」なんて特別な感じを持つことなんてあるか?  そりゃチケット予約してお金を払ったんだから座れるでしょ、って思うんじゃないか。
 
しかし、その席に何か特別な必要性を感じられる空間が《公共空間》なんじゃないでしょうか。
岸井大輔が『東京の条件』で次のように書いていた。
 
去年の十二月に、フィンランドの友人とした会話
 
「会議をしないで、大勢でどうやって問題を解決するんだい?」
「・・・スープをシェアするんだよ。・・・三時間くらいシェアスープ(つまり、鍋)をすると、問題が解決しているのさ」
・・・
「それで本当に問題は解決するのか?」
「賭けてもいいけど、ここに日本人が十人いたとして、問題の解決に、ディスカッションとシェア・スープのどちらが有効か、と聞いたら、まあ、八人くらいは、鍋と答えると思う」
 
※『東京の条件』は「公共という芝居を演じるのが上手くない日本という劇団にあてがきした、公共を演じるための戯曲」ということのようです。
 
小嶋さんもまた、似たような対比を出している。居酒屋で話せればそれでいいのだけれど、僕はそれが出来ないから対話する劇場の場を必要としているんだ、と。居酒屋が「シェアスープ」であり、対話する場が「ディスカッション」である。岸井が言う「日本という劇団は公共を演じるのが上手くない」というのを、小嶋の語り口で言い直すと「役割や立場からでなくて《個》として問われる経験、それはとても困るけど非常にスリリングなものです。そういうほんとうの意味での《他者》に出会いたいんです。」になる。
 
つまるところ、日本は居酒屋談義/シェアスープで《みんな》の席を用意しているんだから、難しく考えないで楽しく飲もう、そしたら同じ釜の飯を食った仲間、まぁお互い大変だけれども頑張っていきましょうで万事解決OKと思える国なのであって、わざわざ「あなたの席を設ける」必要なんてどこにもない。しかし、こうして用意された《みんなの席》とアレントが「席は設けてある」という席の間には、埋めがたい溝が広がっているように思える。
 
僕たちが巨大なシェアスープを囲んでいると想像しよう。
スープの具材は、わたしたちが抱えている様々な問題である。これは巨大な鍋なので、僕の目の前にある具材に手を付ければ、他の具材は他の人が手を付けてくれるだろう。いや、そもそも、この具材は鍋のスープに溶け込んでしまっているかもしれない。それを僕の見えないところで誰かがお玉ですくっているかもしれない。ワイワイ楽しくやっている内に、どうせいつか鍋は食べきられるのだから《わたし》がそれに手をつけなくても誰かが手を付けてくれるだろう。鍋は《みんな》で楽しむものなのだ。
 
しかし、スープが全て飲み干されたとき、実はまだまだ具材が底に沈んで転がっているのかもしれない。それは果たして具材だろうか? もしかしたら、人間の姿をしていないだろうか? いつの間にか《みんな》で楽しむ宴会からスープの中に突き落とされてしまった、席を持たない人間がこちらを見つめてはいないだろうか? 僕たちは彼/女に対して、どのような言葉をかけるのだろうか? 
 
こうした想像力が働くときに、《他者》が開示されるのだろうと僕には思われる。この時、わたしが見ないようにしていたソレ、スープを囲んで楽しく一杯やるための肴にはなっていたのだが、実は見たことも聞いたこともなかったソレ、と向き合うことは大変しんどい。出来ることなら対面したくはないだろう。しかしそれでもなお宴会の賑わいを切断する声が聞こえたならば、もしくは《わたし》がいつの間にか宴会の席から転げ落ちていたのであれば、そんな切羽詰まった状況があってしまったなら、「席はもうけられねばならない」。こうして他者が招かれた《公共空間》が設えられる。ここでも食事は行われるだろうが、それはあくまであなたを歓待するために用意された食事である。
 
こうした《公共空間》はもちろんどこにでも出現しうる。公共ホールと《公共空間》が等号で結ばれないのは、周知の通り(民間劇場でも《公共空間》は可能だ)。しかし、僕たちが公共ホール・公共を自認する小劇場がよく言う「公共は広場だ」との主張に実質のなさを覚えるのは、広場の機能はわかった、だが、なぜ他者が開示され、わざわざ自分のアイデンティティが揺さぶられなければならないのか、反対になぜわたしを他者として開示せねばならないのか、を理解できない=必要としていないからではないか。
 
250km圏内の上演の後に用意される《対話の場》は、馬鹿みたいに字義通り、《公共空間》を設える試みだった。その賛否(企画のクオリティ)は置くとしても、その意味が理解できないというのであれば、劇場の《公共》的な役割が単に必要とされていないからじゃないか? 逆に言えば、他者が開示され、他者と対話することの切羽詰った必要性が生じなければ、劇場が《公共空間》の性質を帯びることはついにないんじゃないか? 僕たちは居酒屋・カラオケ・カルチャーセンターがあれば、まぁOKなのだから。
 
※250km圏内の京都公演で思ったことではあるが、小嶋一郎は僕のようには考えていない。なぜなら小嶋一郎は僕やあるいは岸井のように、公共は演じられる=公共は倫理的な「ねばならない」から生じる、とは考えないからだ。逆に小嶋は「公共は欲望されている」という。わたしは話したい、「わたしはこう思う」を話したいし、「あなたがこう思う」を聞きたいんだ、それはスリリングで楽しいことだ、みたいなふうに。というかここで想定されている《対話》は常識的なそれではなくて、わたし固有の声=音、わたし固有の身体=エロスを介在させた動物的なコミュニケーションの次元であって、演じられた公共の「ねばならない」が剥ぎ取られた後でなお現れる特異な《公共空間》である。ヨーロッパ思想の伝統からいって厳密な意味での《公共性》ではないかもしれないけれど、それでも僕には何か好ましいものに感じられる。岸井と小嶋のこの違いは大きな違いだと思うけど・・・これは余談ですね。